僕の師匠は凄腕ヒーラー

自信を持てなかった僕に多大な変化をもたらした凄腕ヒーラーからの最高の教えと個人的な気づきを共有します

心のざわざわを観察して、ざわざわする場面をチャンスに変える

今日は祖母の法事があり、親戚一同が実家にやってきます。親戚がやってくることに対して、なんだか心がざわつくというか、少し緊張するというか、若干億劫だなと思っている自分がいます。

 

感情が動くときは自分の内面を観察するチャンスなわけで、ふと「僕は何が嫌なんだろう、何を気にしているんだろう」と考えてみました。とりあえず正体を突き止めるために、気になっている点を書き出してみました。何事も頭の中で考えるだけではなくて、書き出して整理することがとても大切です。

 

<法事に参加するにあたって感じる不安>

・世代が離れている親戚の人たちと何を話していいのかわからない(30歳ぐらい離れてる)

・「結婚の方はどうなの?」みたいに聞かれた時にお茶を濁すのがめんどくさい(両親がいる前でそういう話はしたくない 笑)

・来てもらうんだから会話を楽しんでもらわないと悪い気がする&そこに僕は貢献できるのだろうかという不安。そんなふうに気を遣うことになる

・ニコニコしていなきゃいけない気がする

・「自分も楽しいです」みたいに振る舞わなければいけない気がする

 

と、ここまで書き出してみてなるほど。

「他人から、一緒にいても楽しくない、つまらない奴と思われるのが怖い」

と僕は思っているっぽいです。。

 

思い返してみれば、お世話になっている先輩から飲み会から誘われた時に僕がよく思うのは「何話せばいいんだろう」「何も情報提供できない」「一緒にいてつまらないやつって思われたらどうしよう」そんなことが多いです。今回の法事の件も、全く同じだなと、自分の心の中で引っかかっている部分が同じだなと明確になりました。

 

そんな不安を抱えている一方で、先輩との飲み会は毎回ととても楽しい時間になります。だから法事の今回の不安もこれは僕の杞憂なんだと思います。

 

自分の中に心の癖が残っていて、それが単に反応しているだけっぽいのです。

 

「他人から、一緒にいても楽しくない、つまらない奴と思われるのが怖い」

 

この価値観をどんな体験から身につけたものなのかはまだわからないのですが、こうした恐れが心の中にあることははっきりとわかりました(忘れていて再認識した、という表現の方が正しいかもしれません)。 

 

今日はいい機会なので、不用意に相手に楽しんでもらおうとしない、無理に盛り上げようとしない、面白くもないのにニコニコしない、親戚に気を遣わない、これを実践してみたいと思います。そうすることで、「なんだ、大丈夫なんだ」「素の自分でいても全然問題ないんだ」ということを実感する貴重な体験へと繋げていきたいです。

 

もういらなくなった心の癖を一つ一つ剥がしていって、もっと心軽やかに生きられるようになりたいものですね。