僕の師匠は凄腕ヒーラー

自信を持てなかった僕に多大な変化をもたらした凄腕ヒーラーからの最高の教えと個人的な気づきを共有します

頑張ったのにこれだけしかお金もらえないと怒ってたい

こんなに頑張ったのにこれだけしかお金がもらえない、こんなにやったのに全然認められない、こんなにしんどい思いしてるのに評価されない!!!! そんな怒りではらわたが煮え返ることがこれまで何度も何度もありました。

 

今ならわかりますが、これは自分でやりたくてやっていたことです。

 

自分はしんどい思いを我慢して頑張り続けた、なのに認めてもらえない。

これを体験することで、

・自分はこんなに頑張ってるのに!と怒れる

・自分は悪くない!!周りが悪い!!と言える

・周りを恨める

わけです。

 

これは、僕が子供の頃に強烈に悲しく膓が煮え繰り返った体験での

・自分はこんなに頑張ったのに!!父さんのせいで僕はこんなに傷ついた!

・自分は悪くない!惨めな思いをさせられた!人生を台無しにされた!

という、父さんを許せない、という強烈な怒りの思い出しです。

 

ボロ雑巾のようにボロボロになるまで働き続けて頑張り続けて認められない。

そんな体験をすることで、その体験を通じて、

僕は、ずっと父さんに対する当時の怒りを思い出していたのです。

 

父さんを許せないから、許したくないから、強烈な怒りが残っているから。

 

だから、どれだけ僕が辛い、苦しい、しんどいと言おうが、全部自分で演じて体験していたのです。自分が演じて、周りの人にそういう役をやらせていたのです。

 

父さんへの怒りをずっと握りしめていれるから、父さんに対してずっと怒っていられるから、許さないでいられるから、同じような体験を繰り返し続けてきたのです。

 

父さんへの怒りを癒せば、こうした同じパターンから脱出できます。

定例営業MTGが億劫で参加すると毎回緊張してしまう理由

上司が参加して営業活動の進捗を確認する定例会議を毎週月曜日に実施しています。

その場に参加すると、なぜだか毎回、

緊張、ドキドキ、イライラ、お腹のあたりが締め付けられるような違和感、全身がブルブルしたり、苦しい感じがします。

 

内面の書き出しによってこれの原因を探ってみると、

父さん叱られた過去の悲しい体験をその会議の場面で思い出していることが原因だとわかりました。

「努力してない奴が悪い」「悔しかったら努力しろ」そう厳しく父さんから叱られた体験や「東大に行くようなやつは一日15時間勉強してる」という父さんの発言から、僕は睡眠や食事以外は全て努力に費やさなければ努力しているとはみなせない、と極端な思考に走ったのでした。

 

その体験を通じて培ってきた僕の価値観が尾を引いており、そのため営業mtgの最中には、

 

朝早く来て仕事に取り組んだのか?残業をやって仕事を終わらせようとしたのか?それやってないよね、そしたら努力不足のお前が悪いよね?

 

そんなツッコミが飛んできそうで、責められそうで、叱られそうで、ビクビクブルブルしていたのです。けれど上司からそんなふうに責められたことはありません。

なので、自分が勝手に父さんから言われた悲し体験、言われたことを思い出し、それを目の前の事象に勝手に投影させて、思い出しをしてブルブルしていただけでした。

 

自分はやることはやっていてできていないのですから、自信を失う必要は全くないと思います。目標未達と言っても、営業だけをしているわけではなく、むしろほとんどシステムエンジニアとしての業務をメインで進めているのですから、営業活動が進まないのは自然なことです。

 

勝手な妄想をして勝手にビクビクブルブルしないように気をつけていきたいです。

出勤時間より早く仕事を始めないといけない、残業しないといけない恐怖の正体

朝の書き出しをしていたところ、

・出勤時間より早く仕事を始めないといけない

・残業しないといけない

という漠然と抱えていた恐怖の正体がわかりました。

 

子供の頃に、お父さんに叱られた体験が尾を引いていて、頑張らなきゃ責められる、努力不足だと責められる、そう思い込んだ悲しい体験を、ずっと自分が思い出しているだけでした。握りしめていただけでした。

 

野球をしていて、うまく打てなくて悔しがった。

そしたら父さんは、

「努力してない奴が悪い」「お前が悪いんだから悔しかったら努力しろ」と怒ってきた。悲しくて悔しくて泣きながら友達の前でバットを振って悲しかった、そんな体験。

 

そこから、最低限の睡眠や食事の時間以外は努力しないと、それは努力不足のように思い込み始めた。だからそのレベルでの努力を続けられない自分を責めてきた。仕事は睡眠時間3時間、ひたすら頑張らないと自分が努力不足だと思い続けてきた。

 

 

今の勤務先はフルフレックスのため出勤時間は決まっていないけど、朝9時には仕事を始めないと心が不安になる、罪悪感が湧いてきた

→何か失敗した時に、「朝もっと早くから仕事をしていなかったお前が悪い」と責められるのが怖かった

 

 

残業せずに仕事を切り上げるのが怖かった

→何か失敗した時に、「残業していないお前が悪い」と責められるのが怖かった

 

ずっと、昔父さんから責められた悲しい体験を思い出して、今の目の前の体験に重ねていただけだったのでした。

 

 

朝早くから仕事をしなくても誰も責めてきません

→実際同僚は10時〜12時に仕事を開始している

 

残業していないからといって誰も責めてきません

→実際同僚は残業ほとんどしていない

 

だからただの昔の思い出して勝手に自分が怖がっていただけだった。

 

仕事を遅くから始めてみる、残業せずに、むしろ8時間より少なく働いて1日を切り上げてみる。それをやって、ああ、これやっても大丈夫なんだ、と腑に落としていく。

 

そうして心を安心させていく。

これをやってみたい。

愛着障害克服のために瞑想を再開しました

愛着障害の克服のために昨日から瞑想を始めました。

朝起きてびっくりしたのは、なんだか気分が漠然と良いということでした。

 

愛着障害の克服のために毎朝取り組んでいる、ありのままの気持ちや思いの書き出しワークをしていると、不安に対して思いを巡らせていない自分に驚きました。いつもならあれが不安、これが不安と不安ばかりが次々と出てきて、不安をいっぱい書き出しているのに、今日は不思議と不安が全然出てきませんでした。

 

感覚を言い換えると、今目の前のこと以外に思いを巡らせなくなったというか、思案しなくなったというか、不安になったらまた瞑想して頭を空っぽにする状態に戻ればいいや立ち返ればいいや、という割り切りというか安心感がありました。あそこに帰れば安心できると言うのがわかっているから、漠然と安心感に包まれていたのかもしれません。

 

普段、漠然と不安だった心が、漠然と幸せな心になっていることを感じました。

瞑想すごいな。。。続けていきたい。

 

瞑想は数年間全く取り組んでませんでしたが、久々に再開してみると、びっくりするぐらいの安心感に包まれました。

人生の生きづらさの原因は愛着障害だった。

人に嫌われるのが怖い、責められるのが怖い、怒られるのが怖い。そう思って、他人の顔色を気にしすぎたり、自己犠牲をしすぎたり。漠然と人生に不安ばかりがある。そんな人は「愛着障害」かもしれません。

 

愛着障害」とは、幼少期に養育者との愛着が上手く形成されなかったことによって問題が生じる状態のことです。

 

愛着障害の特徴

最近自分が愛着障害であることに気づいたのですが、そんな自分には次のような特性があり、ずっと人生に生きづらさを感じてきました。これは愛着障害の人によくみられる特徴のようです。

 

情緒面
・「ありかなしか」「好きか嫌いか」「100か0か」「白か黒か」「良いか悪いか」「全か無か」などの極端な判断になりやすいなど、物事に柔軟に対応することが難しい
・過去にとらわれて現在の生活に支障がおこってしまう
・身近な人のことばや、職場での何気ない一言に過剰に反応してしまったり、敏感で傷つきやすい

・他人から嫌われていると思い込みがち、他人からの失敗や批判が怖い
・自分のやりたいことがわからない
・他人に嫉妬してしまう

・何をするにも手探りで不安
・自分は幸せだと思えない、漠然と不安を抱えている
・緊張しやすい
・見捨てられるのではないかという不安がある
・理想主義的な思考になりがち
・自己肯定感が低い、自分に自信が持てない

 

対人関係
・人のことが気になり、顔色をうかがってビクビクする
・人間関係全般で相手に嫌われないように人に気を使いすぎて疲れる、本音を言えない
・成育歴において養育者との関係性が悪く親や先生のこと(養育者)の事を恨んでしまう、または過度に従順になったり、親の顔をうかがう
・恋人や妻や夫などのパートナーと、情緒的な関係を築くことが難しいと日々感じる、
・親の期待に応えられないときに必要以上に自分を責めてしまう
・相手に心を開きにくい、自分から積極的に他人と交流することが苦手
・自分に自信がなく、自分で判断できない
・我慢のしすぎで爆発したりうつ病になる。外から見たらいい人だが内面は自信がない

 

アイデンティティーの確立
・自分の選択を信じられず、自分で決断することが苦手、非常に時間がかかる
・自分で選択したことに対して満足できない。進路や就職などに関する決断も後悔することが多く、人生の満足度が低くなりがち
・自分に対して否定的になる。自尊心や自信が持てない
・劣等感が強い。何事も他人と比較して、自分よりうまくいっている人間に目がいく

・やっぱり自分はダメだと自信を失ってしまいがち

 

愛着障害を治す方法

愛着障害に関する書籍やネット記事を読み漁ったところ、愛着障害を直すには以下の方法が有効のようです。

 

・なんでも曝け出すことができ、どんな自分でも温かく受け入れてくれる他人に出会う
・自分の思いや気持ちをありのまま書き出す

・整体やヨガで体をほぐす、スポーツをする
・ワクワクする趣味を持つ
・エンタメに感動する、泣く、笑う
・ペットを飼う
・カウンセリングに通ってみる
・良質な睡眠をとる
・自分にあった体調管理をする
・好きな音楽を聴く
・絵を描く

・瞑想、マインドフルネスをする

 

人との出会いと気持ちや感情の書き出しは確かに有効で、これまで私はやってきて、劇的な変化を体験してきました。日常に瞑想を取り入れてみようと思います。

「自分で自分を認めること」が漠然な不安への根本的な解決策だった

何かわからないけど漠然とした心の不安、物足りなさ。たまにそんな不安が出てくることがあります。僕の場合そうした感情が特に出てきやすいのは、忙しい仕事がない休日です。

 

本日日曜日の夜、漠然とした不安が出てきたので、これはどういう感情なのかと思い、かれこれ60分くらい思いつくままに紙に感情をひたすら書き出し続けていたところ、新しい重大な発見が出てきました。

 

面白いと思ったので今回は、学びとして書き留めておくことにしました。

 

問いかけ続けて回答を書き出し続けてみた

 

まず、漠然と不安を感じているけど具体的にどういう感情なのか?と自分に問いかけて書き出してみると、寂しいという感情が出てきました。

 

じゃあなんで寂しいのかとさらに掘り下げてみると、友達が少ないから、休日でも一人で家にいるから、いつも釣りや読書など一人でできることばかりしているから、、そんな思いが出てきました。

 

さらに、数少ない友達を誘えば良いのでは?と問うと、なんかそれは違う、という回答が返ってきました。

 

じゃあ、誰かと一緒に過ごせたらこの漠然とした不安は消えるのか?そんな問いかけをすると、いや、遊んでる時間があるなら努力しないといけない、と思ってしまうし、安心して過ごせないけどなんか寂しい、という回答が出てきました。

 

それかビジネス交流会とかにいけばいいのでは?と問いを立ててみると、いやなんかそれも違う、という回答が出てきました。

 

じゃあ、誰と一緒に過ごしたいの?という問いを立てると、別に一人でもいい、という回答が出てきました。

 

次は、何が寂しいの?と問いを立てると、何か心が満たされない、愛されていないような気がする、今の自分ではいけないような気がする、という回答が出てきました。

 

さらに、なんで今の自分ではいけないような気がするの?と問いを立ててみると、能力が足りてない気がする。努力が足りてない気がする。愛されてない気がする、という回答が返ってきました。

 

じゃあに、どういう状態になったら自分は幸せを感じるの?と問うと、心から僕のことを愛してくれる人がそばにいること、大事な人たちと笑っていられること、、という回答が出てきて、もうそれ実現してるじゃんって思いました。。

 

でもなんだか寂しい、漠然と不安、心が満たされない、、じゃあ誰に愛されたいの?という問いを立てると、友達?違う。。両親?違う。。会社の上司?違う。。未来の嫁?違う。。ひょっとして自分?...そうかも。。。という回答が返ってきました。

 

次は、なんていう言葉を投げかけられたら安心できるの?と問いを立てると、「大好きだよ」「愛してる」「頑張ったね」「一緒にいるだけで楽しいよ」「そばにいてくれるだけでいいよ」「いるだけでいいよ」という回答が返ってきました。

 

続いて、誰に認められたいの?という問いを立てると、、、母さんは認めてくれてる、父さんも認めてくれてる、お姉ちゃんたちも認めてくれてる、会社の上司も同僚も認めてくれてる、あれ?みんな認めてくれてる、、認めてないのはひょっとして自分だけか、、という回答が返ってきました。

 

さらに、なんで自分のことを認められないの?という問いを立てると、なんだか足りない気がするから。自分は何か欠けてる気がするから。能力が足りない気がするから。努力不足のような気がするから。稼ぐ能力がまだ低いから、という回答が返ってきました。

 

だから、何か能力を高めるようなことをしないといけない、努力しないといけない気がずっとしていて、実際、今日もほぼ一日中、ビジネスに関する本を読んでいました。

 

僕が漠然と抱えていた不安、物足りなさの原因は、「自分で自分のことを認められていない」ことだった

 

ここまで書き出してハッと気づいたのですが、今日僕が漠然と抱えていた不安、物足りなさの原因は、「自分で自分のことを認められていない」ことだったのです。

 

自分のことを認められないから、欠けていると思っているから、努力をして能力を高めようとする、平均的な給料の自分に情けなさを感じる、友達が少ない自分に寂しさを感じる、結婚相手が見つかっていない自分に不安を感じていたのでした。

 

つまり、自分のことを認められないから、無意識に、自分のことを認められない理由探し、自分は認められる存在ではないということを証明するための理由探し、「ほら、やっぱり僕はまだダメなんだ、認められるような存在ではないんだ」という確認作業をずっとしていて、その結果、友達がいない、資産がない、能力がない、と考えていたのです。

 

それで出てきた感情が、漠然と不安、寂しい、努力しないといけない気がする、誰かに責められそうで怖い、そういう感情だったわけです。

 

「俺は素晴らしい」と毎日呟くことにした

 

自分で自分のことを認めるには、「私は素晴らしい」ととにかく呟き続けることです。過去にこのブログでも書いてきていたことですが、それを書いてる本人が、自分のことを素晴らしいと一番思えていなかったんですね...爆笑

 

これから毎日100回以上「俺は素晴らしい」と呟くことにしました。それをとりあえず続けてみて、内面と現実にどんな変化があったのかはまた記録として残していこうと思います。

 

そしてまたハッとしたのですが、「俺はすごい」という言葉を過去に何万回と呟き続けてきた僕の内面には「俺はすごい」という認識が現在当然のものとなっていて、結果、「俺はすごい」と思えるような現実がたくさんやってきていることに気づきました。

 

500万円を騙されて消費者金融に300万円の借金をして全額返済した、過去にクビにされた会社に戻ってきて今では新規事業の立ち上げリーダーをやっている、他人に80万円もするようなプレゼントをできるようになった、などなど。昔の僕だったら想像もできないような「俺はすごい」がやってきています。

 

なので、「俺は素晴らしい」と言い続ければ、必ず現実が変わると確信しています。ワクワクしながら取り組んでみることにします。

人に会うのが億劫な理由がわかり驚愕した件。人生がまた開けました。

「怖いからそれは絶対やりたくない」「それをやるなんてあり得ない」。まさにそんなことをやると人生が開けます。今日はそんなお話です。

 

なぜだかわからないけど人に会うのが億劫だった

「お盆で親戚がうちに来るんだけど億劫な気分になる、会うのやめようかな」そんなことを師匠と話していたところ、別に苦手な人でもないのになんでそんな気分が出てくるんだろうね?という話になりました。

(師匠は精神面、経済面で超豊かな人物で、日々僕に助言をくれています)

 

そこで自分でも不思議に思ったので内面を見てみると、「楽しませられるような会話ができるだろうか...」「つまらないやつと思われるのが怖い」、「がっかりされるのが怖い」という恐れがあることに気づきました。

 

これらの言葉を一言でまとめると、「他人から期待されているような気がしてならなくて、その期待に応えられる自分かどうか不安」という怖れでした。この言葉だけ聞いたら意味わかんないですけど、僕の場合はそうした怖れがずっと心の奥底に存在しているのでした。

 

父親から認められたいという欲求が億劫の原因だった

この話を聞いた師匠は、次のように語りました。

 

師匠:「お父さんから認められたい」という気持ちがあなたはすごい強いんだと思うよ。お父さんに認められたいから、お父さんのいうことを聞いて辛い野球も子供の頃耐えてたと思うし。

 

師匠:けどそれがうまくいかなくて辛さだけ残って、かつ、嫌だったのに我慢してお父さんのいうこと聞いて練習してたのに、そのやり方も実はうまくいく方法とは真逆で全然だめだったってあなたは昔言ってた。だから、やり場のない怒りが残ったんじゃないかな。

 

師匠:単にお父さんに認めてほしかった、褒めてほしかった。それで頑張ったけど欲しい答えはもらえないし結果もでなくて、それで自己肯定感だけが下がった。

 

自分:なるほど。。まさしくそうかもしれません。お父さんとの過去の思い出を振り返ると、やっぱり怒りが湧いてくるんですよね。お父さんに褒めて欲しかったって思ってた自分にも腹が立ってくるわけですが。。

 

師匠:それでお父さんにがっかりされたって心の奥底では思ってるんじゃないかな。野球で結果をだせなくて、お父さんが自慢に思うような息子として結果を残したいっていうプレッシャーが常にあなたの根底にあるんだと思う。

 

師匠:年上の男の人と話すのが苦手ってあなたは前に言ってたけど、それは常に「お前は俺の期待にこたえららるような男なのか?」って無意識に自分が品定めをされている感じがして苦しいんじゃないかな。

 

師匠:年上の男の人をお父さんに重ねて、あの時お父さんにがっかりされた、がっかりされたくない、だから期待に応えなきゃいけない。そんな心理が働いているから、常に緊張して、結果を出さないといけない、良いところをみせないといけない、ってなってるんじゃないかな

 

師匠:つまり、年上男性が苦手なのではなくて、年上男性を目の前にすると、お父さんが自慢に思うような息子として結果を残したいっていうプレッシャーを無意識のうちに感じてしまって、それが苦しさにつながっているということだよ。

 

自分:・・・・・・・。

 

そんな風に師匠から言われた僕は唖然としました。そして非常に上手く的を得て表現されて驚いたのでした。頭は追いついていなかったのですが、心は師匠の言葉にかなり反応していたようで、会話の途中になぜだかわからず涙がこぼれました。

 

小学校・中学校と一生懸命取り組んでいた野球での悔しい挫折体験が、そんなにも僕の人生に影響を与えていたこと、そして父さんに褒められたい、認められたい、という欲求を自分がずっと抱えて生きてきたことに僕は無自覚だったのです。

 

僕は会ったり話したりする相手が男性の場合、いつも相手に「自分が価値を与えられるかどうか」「価値のあるやつだと思ってもらえるかどうか」で不安になる癖があります。なので毎回会う前には、大抵質問することや会話の内容を考えているのですが、不思議と相手が女性の場合はこうはなりません。

 

そして過去を振り返ってみれば、誰かが見ているところではいつも緊張して力が出せませんでした。部活の試合だったり、年上男性が上司になった場合には無意識に湧いてくる怖れ(どう思われてるんだろう、役に立ててるんだろうか、期待に応えられるんだろうか)、などなど。

 

バンジージャンプ怖くて絶対にやりたくないことを自らあえてすること飛びなさい

師匠:やっぱりお父さんだね!!お父さんとゆっくり明日は話しましょう。

 

自分:え、、、、何を話すんですか!??

 

師匠:お父さんがあなたをどう思ってるのか聞くんだよ!あと、野球教えてくれてた時とかどう思ってたか。癒すには話すしかないんだよ。お互いお盆休みだから時間があって話せるでしょ。

 

師匠:バンジージャンプ怖くて絶対にやりたくないことを自らあえてすること)を飛びなさい。

 

自分:そんなの父さんに聞いてどうするんですか!?

 

師匠:聞けばあなたの人生を生きづらくしてる思い込みが取れるはず。なぜなら、「がっかりされてる」「期待にこたえられてない」はあなたの勝手な思い込みだからね。

 

自分:・・・・・・

 

師匠:だって、実際どう思ってるのかは本人に聞いてないじゃん。

 

自分:僕は「すっごく辛かった」って父さんに話せばいいんでしょうか。。。親の前で泣きそうで怖いです、、、、というか、多分泣くと思います。

 

師匠:バンジージャンプしなさい。

 

自分:バンジージャンプですか。。。

 

師匠:やるしかない。怖いはゴーサインだよ。

 

土屋:何を話したらいいんでしょうか。。僕が話したくないことを話したらいいんでしょうか。。

 

師匠:まずお父さんは僕のことどう思ってるの?とか、お父さんを責めるんじゃなくて本音を言うことだよ。がっかりされてるんじゃないかとか、期待されてる息子になれなかったんじゃないかとか、そうした不安があるとかね。

 

師匠:お父さんに認めてほしくて褒めてほしくて頑張ってきたところがあるとかを言えばいいんだよ。それを伝えればいい。お父さん一回話したいことあるんだ。聞いてくれる?って

 

自分:まさにバンジージャンプ。。。それはやりたくないですね。。。怒りを伝えるわけじゃなくて、自分が感じてた不安を伝えるってことですよね?

 

師匠:うん。

 

自分:ただ、これは師匠がうまいこと言語化してくれましたけど、僕の中ではまだ整理できてないんです汗。けど、なんか涙出てきているのでドストライクだとは思います。なんかよくわかんないけど涙が出てきてるんです。頭が追いついてないんですけど、師匠の言葉に心は反応してるんです。

 

師匠:怒りは単に自分が欲しかった言葉をお父さんがくれなかったから、悲しくて怒りに変わっただけだよ。すごい長い間かかえてた気持ちだから頭ではわからないよ。溢れだしてきてるものそのまま出してあげたらいいよ。

 

自分:何を話したらいいかやっぱりわかりません。。。

 

師匠:それは頭で考えてるから気持ちを伝えるのに頭はいらないよ。お父さんの前で突然泣くとこからでもいいじゃん

 

自分:バンジーやわそれ。。。。絶対やりたくないやつだわ。。

 

師匠:父さんに伝える!バンジージャンプ飛んだだけ人生変わるよ!

 

頭で色々考えてもダメ。必要なのは覚悟を決めること。

師匠に助言をもらったからといっても、やはりすぐには父さんに本音を打ち明けられるわけではありません。翌朝考えて見たものの、やっぱり何を話していいかわからず、カフェに行って書き出しをして頭の中を整理することにしました。

 

不思議なことに、カフェで考えを文字にしているだけでも心がやっぱり反応しているようで、自然と涙がこぼれてきました。

 

それでも、うーん、やっぱり何を話していいかわからない。。。この状況を師匠に伝えたところ、

 

師匠:頭で考えなくていいよ。その行動はもうズレてるよ。必要なことは整理じゃなくて、逃げることをやめて覚悟を決めることだよ。

 

自分が父親と話す準備をしているようで、実は逃げてるだけだったことを悟った僕は、カフェにいても何も変わらないことを知り、父さんと話すためにカフェを出て家へと戻りました。

 

バンジージャンプが怖すぎて飛べない。。

 

家に帰ってくると、父さんはリビングのソファーに座って高校野球の中継を見ていました。しかし全然話しかけられない!!!ひと声をかけるだけなのに、怖すぎる。。

 

キッチンの時計に目をやり、あの時計の秒針が12になるまでに話しかけよう!そう思ってみるものの、どうしても声が出ませんでした。。

 

この恐怖がどこからきているのかは当時あんまりわからなかったのですが、今振り返れば、「受け入いれてもらえないかもしれない」「父さんに拒絶反応をされるかもしれな」「また否定されるかもしれない」という、無意識下で自分が思ってることから起因する怖れだったと思います。

 

お父さんに辛かったこと、悲しかったことをわかってもらえないと思ってるから怖さが出てきていた、ということです。そして、親の前で泣いてしまうという恥ずかしさ、父さんにがっかりされた現実を直視する恐れ等があって、とにかく怖かったんです。

 

師匠はまたこんな風にもアドバイスをくれていました。

 

師匠:話すことで何かが変わるとか、お父さんにわかってもらえるっていう期待は全部手放しておくこと。変わらなくていい、わかってもらえなくていいって思っておくことが大事だよ。

 

師匠:なぜなら、自分にあったその気持ちをただ伝えることが目的だからね。本音を言えば、心が癒えるからね。

 

父さんは思いも知らぬことを思っていた

覚悟を決めて僕は父さんに声をかけました。

 

「お父さん、ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」

 

勇気を振り絞って僕は父さんに声をかけました。

野球を見ていた父さんは、僕のただならぬ真剣さを感じ取ったのか、テレビを切って、僕が座っていたキッチンテーブルの向かい席にやってきて腰掛けました。

 

僕は何から話したのかはあんまり覚えていませんが、やっぱりいきなり涙が溢れてきました。声が震えました。

 

お父さんにがっかりさせたと僕は思ってた。

 

努力しても野球で思うように打てなかったこと。

 

友達から馬鹿にされてたこと。

 

悔しかったこと。

 

14歳の冬に毎日一人で隠れて泣いてたこと。

 

お父さんを恨んだこともあったこと。

 

32歳になった今もそれが心にずっと残ってて苦しかったこと。

 

お父さんから褒められたかったこと。

 

お父さんから認められたかったこと。

 

お父さんの期待に応えたかったこと。

 

がっかりさせてしまったんじゃないかという不安で怖かったこと。

 

立派な男になりたくて、認められたくて、異常なまでに仕事を頑張ってきたこと

 

 

 

お父さんに泣きながら話しました。

 

そして僕が野球を頑張っていた当時、父さんは僕のことをどう思っていたのかもおそるおそる聞いてみました。すると驚いたことに、なんと父さんは、全然僕に対してがっかりしていなかったのです。

 

父さんは、僕が野球で活躍することよりも、最後まで残っていつも一人ゴミ拾いをしたり、片付けをしっかりやる姿が嬉しかったと言っていました。そして、子どもたちのサポートをできるだけで幸せだったと言っていました。

 

そして、僕が打てなかったことに対して、

「一生懸命頑張ってたのは見てたから知ってる。でも一流のプロでさえもたった3割しか打てない。だから毎回思うように打つこと自体そもそも難しいんだよ」と言いました。

 

お父さんが当時思っていたことを聞くと、僕はすごく楽な気持ちになりました。最初から、がっかりさせたと思っていたのは僕の「気のせい」だったのでした。そう、勘違いだったのです。

 

最初から父さんはがっかりなんてしてなかったのでした。この「気のせい」に、僕は32歳になった今まで苦しめられてきたのでした。。

 

まとめ

 

さて、今回はずっと自分が感じてきていた「人に会うのが億劫」という根本原因が、実は過去に自分が身につけた「親にがっかりされた」という気のせい、勘違いに起因するものだったという話をしてきました。

 

「気のせい」でずっと人生を苦しんできたなんて、馬鹿みたいな話ですよね笑

でも、父親に本音を打ち明ける前の僕は、「親にがっかりされた」というのは本当に真実だと思っていました。事実だと思っていました。

 

その考えがガラッと変わったのも、怖くて嫌だったけれど、本音を相手に打ち明けたからこそです。改めて、本音を相手に伝えることの大切さを実感しました。

 

こんな思い込み、勘違いをこうやって一つずつ外していくことで、もっと軽やかに楽しく穏やかに人生を楽しんでいけたら最高ですよね。

友人と久々に会うのが怖い。つまらない奴だとガッカリされそう

久々に友人と会うことになった時、「つまらない人だと思われそうで怖い」「なんだか自分がガッカリされそうで怖い」。そんな風に感じて、会うのが億劫になる人は意外に多いのかもしれません。

 

実際、僕も昔はそうでした。「今度会おうよ!」「今度飲みに行こうよ!」そんな誘いが来ても、実際会った時に自分はどう思われるんだろう、という怖れから「ごめん、その日は予定が入ってて....」と誘いを断ったりなんてことはしばしば。。

 

そしてもし行くことを決めても、「当日は何を話したらいいんだろう」「どう振舞ったらいいんだろう」「面白い話ができる自信ないけど大丈夫なのかな」と、そんな怖れがグワーと湧いてきて、すごく億劫な気分になるのです。

 

会う日までに質問したいことリストや話題リストを紙に書き出しておく、なんていう場当たり的な対処も僕の場合はやっていました。

 

けれど今はそうした怖れはほとんど(全く?)なく、本当に生きやすくなりました。昔と今の自分は全くの別人物だわ...と、ふと思ったので、今回はこうした対人の怖れがどこからきていて、どうすれば解消できるのかをお話ししていきます。

 

怖れの原因。それは何もできない、何もしないありのままの自分は好かれない、愛されないと思っていること

 

結論から言うと、この怖れは、自分という存在への自信の無さからきています。何かをしないと自分には価値がない、だから相手に評価される存在にならないといけない、相手を喜ばせないと自分には価値がない、そうした価値観から怖れが出てきているわけです。

 

言い換えれば、「何もできない、何もしないありのままの自分では好かれない、愛されない」と思い込んでいることが原因だということです。そこを起点として、他人から評価されるように立ち振る舞わなきゃいけない、素の自分ではダメなんだ、相手に喜んでもらわないとダメなんだ、と怖れが出てきてしまうということです。

 

そんなふうに思い込んでるのは自分だけ。自分は愛される存在である

 

先ほど、「何もできない、何もしないありのままの自分では好かれない、愛されない」と思い込んでいることが原因だ、と書きましたが、この「思い込んでいる」というのが重要なポイントです。思い込んでいるだけであって、本当は違うんです。

 

しかしそうはいっても、そんな風に思えない気持ちもすごくわかります。なぜなら実際僕もそうでしたから。でもそれは思い込みであって勘違いなんです。どれだけ「自分に価値がない」ということが真実のように思えても、それはあなたが勝手にそうしているだけです。

 

そもそも、あなたに会いたいと言ってくれてる友人は、単にあなたの顔が見たい、あなたと一緒に時間を過ごしたい、あなたと会話を楽しみたい、そう思っているだけです。そこに損得勘定はありません。

 

あなたと話すと得するから、あなたと話すといい情報が手に入るから、そんな風に近寄ってあなたに会いたいと言ってくる人とはそもそも友達になっていないですよね。友人はあなたという存在に魅力を感じているのですから、あなたは何もせずいるだけで価値があるんです。

 

話を聞くだけで相手は嬉しいんです。同じ時間を共有できるだけで嬉しいんです。

 

なので、友人から誘いが来て、自分の怖れから誘いを断ろうとしているときは、絶対に断らずに友人にあった方がいいです。怖いけど絶対に大丈夫です。あまり気乗りしないのか(これは断った方がいいです)、行きたいけど怖くて躊躇しているのか(これはGOサインです)、内面を見ましょう。

 

どうすれば怖れを解消できるか?

 

「自分には価値が無い」という思い込みを起点として、対人関係の怖れが出てくることをここまでお話ししてきました。もう少し細かくいうと、対人関係のみならず、熱心に努力したり、頑張ったり、そうしたことも全部この「自分には価値がない」という思い込みが原因になっているのですが、今回のテーマとはまた逸れるので今回は細かく触れません。

 

ここまでお話ししてきたような怖れを解消するには、「自分が素晴らしい存在だ」ということに気づく必要があります。自分は存在するだけで価値があるんだと知る必要があるんです。

 

そしてそれを実感するための一番の方法は、「私は素晴らしい」と毎日呟き続けることです。

 

そんなことで変わるの?そんなんで変わったら苦労しないわ。という声が聞こえてきそうですが、変わります。断言します。

 

けれど、呟き始めた時は、「私は素晴らしい」なんて思えませんから、違和感がたくさん出てきます。モヤモヤします。怒りが出てくることもあるでしょう。惨めな気持ちが出てくることもあるかもしれません。それでもひたすら毎日毎日呟くことが大事です。

 

すると不思議なことに、自然と心境が変わってくるんです。

毎日言い続けていると、

 

私は素晴らしい(違和感だらけ。腹が立つ。惨めな気分になる)

私は素晴らしい(こんなんじゃどうせ変わんないよ、と思って渋々言い続ける)

私は素晴らしい(耳が慣れてきてなんとも思わなくなる)

私は素晴らしい(なんか最近落ち込むことがなくなった。なんか調子がいい)

私は素晴らしい(私にも意外にいいところがあるのかもしれない)

私は素晴らしい(私にも結構いいところがあるんだ)

私は素晴らしい(以外に私は素晴らしいかもしれない)

私は素晴らしい(私って素晴らしいのかも)

私は素晴らしい(私って素晴らしいじゃん)

私は素晴らしい(言わなくてもわかってる。もう知ってる)

(私は素晴らしい。いつの間にか呟くのも忘れてる

 

言い続けていると、こんな風に少しずつ変わってきます。

 

自信を持つために根拠や頑張りは一切いらない

 

ただ、注意しなければいけないことがあります。

 

「私は素晴らしい」と言い続けていると、途中「何が素晴らしいんだよ。素晴らしいことなんて何もないじゃないか!!!」と思考が絶対に騒ぎ立ててきますが、そうした声に一切耳を傾けてはいけません。

 

「自分が素晴らしい」ことに対して根拠なんて一切いらないのです。「私は素晴らしい」ということにしてしまうのです。自分には何もしなくても、何もできなくても価値がある、素晴らしい、ということにしてしまう。気づいていないだけで、実際そうなのだから。

 

もし根拠が欲しいのなら、後から自然と根拠が出てくるので楽しみにしててください。ただ、根拠が必要な自信なんて非常に脆いです。他人と比較したり起きた出来事によって根拠なんて簡単に崩れます。

 

一方で根拠のない自信は最強です。崩れようがありませんから。自信を持つことに根拠なんていりません。

 

まとめ

さて、今回は対人の怖れがどこからきていて、どうすれば解消できるのかをお話ししてきました。ポイントとしては、

 

・「自分には価値が無い」という怖れが根本原因である

・「自分には価値が無い」というのはどれだけ事実のように思えても自分が勝手にそう思い込んでいるだけである

・「私は素晴らしい」と言い続けることで、自分の内面が徐々に変化する

・「私は素晴らしい」と知るために根拠は一切いらない

 

ということでした。今回ご紹介した内容は全て僕の体験談です。自分は価値が無い存在だ、そう思い込んでいた僕は、「私は素晴らしい」と呟き続けることで人生がガラッと変わりました。過去の自分と同じように、人生に絶望を感じていたり、生きづらさを感じている誰かの役に立てばとっても嬉しいです。

 

 

関コレで登場した江頭2:50の姿に涙して自尊心の重要さに気づいた

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一生懸命な人の姿に感動して涙することってありますよね。先日、江頭2:50ことエガちゃんがなぜ魅力的なのか?というテーマで文章を書いたのですが、それに引き続きまた彼の姿に心動かされることがありました。

 

僕は彼の人間性が大好きで、以前彼が関西コレクション2021にシークレットゲストとして登場した時の登場動画を朝眺めていたのですが、

 

(↓こちらの動画)

江頭2:50、関コレにシークレット乱入!宮迫とバトルで“本気ビンタ”喰らう【関西コレクション2021 S/S】 - YouTube

 

動画を観ていて、彼の仕事に対する真剣さ、ひたむきさ、一生懸命さ、熱量が表情や全身からたくさん伝わってきました。自分を飾らずありのままで全力で勝負するエガちゃんの姿を見て思わず朝から号泣。。。「エガちゃん、ありがとう、ありがとう...」そう何度も思ってボロボロ泣きました。

 

(☝︎知らぬ間に俺エガ信者になっとるがなって書きながら気づく wwwwwwwwww)

 

それとともに、「僕も自分の仕事にプロとしてのプライドを持とう!」という熱い気持ちが自然と込み上げてきました。

 

自尊心がなければ仕事にプロとしてのプライドを持とう!なんて思えない

 

そんな体験をしてふと思ったのが、「自尊心」が極めて重要だということです。そんなの当たり前じゃん。。という声が聞こえてきそうですが、今回はあえてこのテーマで書いていくことにしました。

 

というのは、昔の自分なら「自分の仕事にプライドを持とう」なんていう風に思えなかったはずですが、今の自分はそれを自然と思うことができ、その変化のベースにあるのが「自分が自尊心を持ったこと」だと言っても過言ではないからです。

 

昔は自尊心も自己肯定感もなく人生に絶望していた

 

これまでブログにも何度も書いてきましたが、昔僕は自分に自信が持てず、自分が大嫌いで仕方がありませんでした。「なんで自分はこんなに無能なんだろう、なんでこんなに迷惑かけてばっかりなんだろう、何が楽しくて今生きてるんだろう。。。」そんな風に自分を責め続け、人生に絶望していました。

 

自分の存在価値を見出せず、他人からの評価でしか自分の価値を測ることができない辛さ。そしてこんな僕じゃダメだと、徹夜で働きシャワーを浴びにだけ家に帰る働き方や土日関係なく働くなど、死に物狂いで努力し続けました。

 

そのあり得ない行動力のベースにあったのは、「自分には価値がない、仕事で成果を出して他人から認められないと生きてる意味がない」という強烈な強烈な怖れ、不足感でした。

 

どこまで努力しても満足できないし、「努力しなければいけない」という強迫観念に常に襲われ続ける毎日。。そんな強迫観念から、仕事以外の時間はビジネス書を読んだり自分の考えの整理、自己啓発セミナーに参加するなど必死でした..苦笑 

 

そんな自分には自尊心がありませんでしたし、自尊心がないからこそ仕事にもプライドを持てませんでした。そもそも大前提で「自分はダメだ」と思っていたから、プライドを持とう、というそんな発想すら出てこなかったんです。

 

自分に対する大前提を変えたら自尊心を持てるようになった

 

けれど、このブログを書くきっかけにもなったある人物との出会いをきっかけに、僕の内面、そして現実が変わり始めました。

 

「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」「僕は素晴らしい存在だ」を1年以上言い続けたり、自己の内面と向き合うワークをしたことで、今では自分に対する大前提(自分が自分をどういう存在ということにしているか)がガラリと変わったのでした。

 

そんな今の僕は、自分が根拠もなく素晴らしいことを知っていて、自尊心を兼ね備えていますし、自己肯定感も高いです。日常に充実感を得ていて、自分が心から大切にしたいもの、好きなもの、求めているものも見えるようになってきました(昔は「やるべき、しなければいけない」の判断軸で全て生きてきたから、心の声がわからなかった)。

 

そして自尊心を持つ自分だったからこそ、今回エガちゃんの動画を観た時に「僕も自分の仕事にプロとしてのプライドを持とう!」そう思えることができました。

 

最後に

 

自尊心が大事。それは誰もが知っていることです。けれど、その自尊心を持つかどうかでどう日常が輝いてくるか、どんな風に人生が変わってくるかを体感している人はそんなに多くはないかもしれません。

 

今、自分のことが大嫌い、自信が持てない人だって大丈夫です。なぜなら変われますから。昔の僕が実際にそうでした。自尊心の持ち方については以前、「自信を持つには」というテーマでご紹介しています。

 

誰でもできる努力が一切いらないやり方です↓

sugoudehealer.hatenablog.com

 

今後もこのブログでは、僕が日常で出会った心動いた体験や気づき、そして実体験に基づいた人生をより心穏やかに生きやすくするためのコツをどんどん発信していきたいと思います。

あなたのためにしたんだ。それ、自分のためにやってる行為です

f:id:sugoudehealer:20220312141019p:plain他人のために何かしてあげて、相手から感謝されるのって嬉しいですよね。「〜してくれてありがとう」「あなたのおかげで助かりました」。そうした言葉をもらえると、誰でも自然と笑顔になります。

 

ただ、相手のためにと思ってした行為が、毎回感謝されるとは限りません。注意したいのは、そんな時に「どうして感謝しないの!?私はあなたのためにやったのに!ムキーッ!」という感情が出てきていないか?ということです。

 

こういう感情が出てきている時、それは実は相手のためではなく、自分のためにやっていたと気づけるとどんどん人生が生きやすくなります。今回は、「その行為、相手のためにと装って自分のためにやっていませんか?」というテーマで話をしていきます。

 

感謝をもらえず怒りが出てきたことが意味するもの

 

「相手のためにと何かをしたのに感謝がもらえなくて感情が動いた」これは誰にでも思い当たることかもしれません。「あなたのためにやったのに感謝の一つもないなんて酷い!!」とか「感謝の言葉をもらえなくてなんか悲しい」そんな場合です。

 

ただ、冷静に考えてみれば「相手のためにやる」という行為は、「助けてあげたい」とか「笑顔にしたい」という純粋な気持ちを起点にしているものです。なので、自分が関わったことで相手が笑顔になったり、状況がよくなれば、それだけで目的は達成されるので自分も嬉しい気持ちになるはずです。

 

けれど、感謝をもらえず嫌な感情が出てくるということは、「助けてあげたい、笑顔にしたい」という純粋な気持ちではなく、「相手に感謝してもらえるはず」という勝手な期待からの行為、つまり「その言葉が欲しくて自分のためにやっていた」という見返りを求めていたことになります。

 

相手のためを装って実は自分のためにやっている代表的な具体例

 

これを理解しておかないと、やった側は「何であなたは感謝しないの!?酷い!」と怒り始めます。しかしやってもらった側からすると、「いやいや、そもそも頼んでないですよね。あなたが勝手にやったんですよね」となりますから、感謝を要求してくる相手が横暴に見えてしまいます。

 

子育てや仕事でのサポート、という場面で、こうしたことはよく起こります。

例えば、子供ができていないのを親が見兼ねて我慢できずに親が良かれと思ってやってしまうこと。それは、我が子が周りから「できない」と思われて自分が恥をかくのを嫌がったり、早く自分が楽になりたい、安心したいなどといった怖れをベースにした行動です。だから、子どもためを装っているだけで、実は自分のためにやっています。

 

また、助けを求められてはいないけど、中間管理職が心配だった部下のサポートをしたけど、部下が感謝もしなかったので叱りつける。これは中間管理職の方が、上司から怒られないように、お客様からクレームをもらわないようにと、自分のために部下をサポートしています。部下からしたら「いやいや、サポートしてませんよね」となりますし、本来サポートによって部下が助かったなら、お客様が満足したのなら、それで満足するはずです。

 

必ず「自分がやりたいからやる」を起点にしていくといい

 

ここまで読んできて、じゃあどうすればいいのかということですが、私たちは、他人を手伝ったり他人のために何かをする時には、必ず「自分がやりたいからやる」を起点にしていくといいです。

 

純粋な「やりたい」からやっていたら、たとえ相手に感謝されなくても、自分がやりたくてやってるから幸せだし、感謝されたら「やりたいからやっただけなのに感謝までされた!こっちこそありがとう!」と嬉しさが増えますから。

 

そんな風に生きていると、毎日ストレスの無い生活を送れるようになっていきます。

 

他人から感謝されなくて感情が動いた時は、自分の心を内観してみることが非常に有効

 

また、人は無意識のうちに「あ、この人は見返り求めてるな」というのを見抜いています。だから他人から感謝されなくて感情が動いた時は、自分の心を内観してみることが非常に有効です。

 

内観すると、「ああ、自分は感謝されたかったんだな」とか「これをしたら喜ばれるはずって相手に勝手に期待してたな」とかが見えてきます。

 

自分が相手にこういう反応をくれるんじゃないか?こういう反応が欲しい、と勝手に期待して、その期待通りの反応をもらえなかった時に、怒りが湧いたり、イライラしてたんだなと気づくことができます。そしてそれに気づくと、スッと心が楽になります。

 

だから私たちは常に、自分が相手に勝手に期待していないか、感謝してもらいたいとか尊敬されたいとか、相手から何かを欲しいと思って自分がしていないかを心に問うことが大事です。

 

見返りや相手に期待して行動している人の典型的な口癖

 

他人に見返りを求めたり期待をして行動している人に共通する典型的な口癖があります。それは、

 

普通は●●するでしょう!?

●●は常識でしょ!?

 

というものです。これは、どういうことかというと、「普通は●●」も「●●は常識」も全部その人独自のルールです。その人が、「守らないと酷い目に合う、守るべきだ!」と勝手に思い込んでいるルールです。

 

そんな自分ルールで相手を縛り、相手に自分ルールを勝手に押し付けて反応を期待しているわけですから、そのルールを押し付けられた相手は苦しいですし、期待した反応を得られなかった本人も苦しくなります。

 

自分も相手も縛ろうとする自分ルールを少しずつ手放すことができれば、驚くほど生きやすくなります。自分ルールを手放せると、自分ルールの範囲外のことが段々と受け入れられるようになってきますから、自分にも人にも、それぞれの生き方に◎ができるようになります。人に優しくなれます。人に寛容になれます。心が穏やかになります。

 

私たちは、それぞれが自由に生きていいんです。

 

まとめ

 

さて、今回は「その行為、相手のためにと装って自分のためにやっていませんか?」というテーマで話を進めてきました。

 

・感謝がなくて怒りが出てきたら、それは自分が相手に見返りを求めていたということ

・「やりたいからやる」を起点に行動すると感謝の有無に関係なく幸せを感じられる

・感情が動いた時には自分の心を内観して、本音に気づくと気持ちが楽になる

 

ということがポイントでした。

 

自分を不自由にさせている自分ルールを手放していく&「やりたいからやる」という純粋な気持ちから行動することを日々大切にすることで、毎日を一層心穏やかに過ごせていけたら最高ですよね。