僕の師匠は凄腕ヒーラー

毎日好きなことだけして生きているお師匠さん(凄腕ヒーラー)による教えを書き綴ります

自分の中に潜むモヤモヤの正体を探る

なんだか元気が出ない日というのは誰にでもあると思います。今日は僕にとってそんな日で、なぜか一日中モヤモヤしていました。いろんなことが絡み合ってそんな気持ちを形成しているのだと思いますが、そういえば最近は自分の内面の観察が疎かになっていたと思うので、整理してみることにします。

 

モヤモヤしていることを書き出してみる

モヤモヤの内容を早速書き出してみました。

 

①打ち合わせに参加しても話の内容を全然理解できなくて、それで発言も全然できなくて、明らかにその場にいる価値がないと自分で思ってしまって辛く感じた

 

②お客様に喜んでもらえると思って一生懸命頑張って提出ものに対して、そうでもない普通の反応が返ってきてとても残念で疲れた気分になった

 

③自分で今日までにやると以前決めていた仕事があったが、日中忙しくて手が回らなくて、残業タイムになったが、疲れていてもうやりたくなかったので翌日に回してしまおう、という判断をしたが、それに対する罪悪感や恐怖が出てきて気持ちが悪い。残業すればできると思うけど、残業する気になれなくて、後回しにしていることがとても気持ちが悪くて心の中でぐるぐるしていて落ち着かない

 

書き出したモヤモヤに対して思うこと

次に書き出したことを客観視して、感じたことを整理してみます。

 

①について

これは、そもそも議論をするという「自分が苦手なこと」と、頭の回転が鈍いところを露呈して「一緒に仕事したくない、とか、嫌われたくない」という気持ちが強く働いて頭が真っ白になるという、この2つがかなり影響していたと思われます。そこに加えて、「自分は期待に応えられない人間なんだ、ダメな人間なんだ」と中学時代に身につけた思い込み、インナーチャイルドが反応したんだと思う。昔からの心の癖が出てきただけだと思う

 

②について

これは、お客様が喜んでくれるはず!と自分が勝手に期待しただけなので完全に自分が悪い。他人に喜んでもらうために仕事をするから、他人に喜んでもらえなかったときにしんどくなる。自分が楽しくてやりたいからやる、「相手のためにやる」という考えで動いていた僕に課題がある。他人に評価されなくてもやりたいのかどうか?という問いを大事にしていきたい。

 

③について

これは、前職での経験がかなり影響してそう。「仕事が終わらないなら帰るな」「終わらないなら徹夜して終わらせろ」そう何度も怒鳴られ叱られ続けてきた嫌な経験、そしてそういうレベルで仕事に責任を持つことが当たり前だと思ってきたから、それをやらないことに対する恐怖心がぐわあーと上がってきているんだと思う。そして、手が回らなくて放置している時に、それに気づいた上司からいきなり怒られる、その恐怖心が影響しているんだろう。。これも昔の経験からきている心の癖だ。。。

 

ここまで書き出してみて分かったけど、やっぱりこの心のモヤモヤというのは、過去の体験から僕が拾ってきた、癒されていない心の傷、インナーチャイルドが影響しているということです。

 

そういえば昨日は、次の3つの言葉をつぶやいていませんでした。

・迷惑かけて嫌われてもいい

・一緒に仕事したくないって思われてもいい

・担当を外されてもいい

 

どれだけ忙しくても、焦っていても、この言葉をちゃんと呟いてから仕事を始める、その習慣は徹底していきたいです。これらを腹に落とし込めた時、モヤモヤやどんよりした気持ち、そして人生に対するどんよりした感情というのは払拭できると思います。

ゆるゆる話。仕事の何に憂鬱を感じているか?

月曜日の朝ということで今週も今日から仕事が始まります。ただ、どこか億劫な気持ちがあって、なかなかスイッチが入らない。そんなこと言ってちゃいけないと、自分に鞭を打って仕事に取り掛かることもできるのですが、やっぱりそれは一時的な効果だけを示す対処療法なわけで、根本的な原因を解決する原因療法ではありません。

 

月曜日の朝、これから仕事に取り掛かる前に、自分の中で具体的に仕事の何が憂鬱に感じているのかを探ってみます。

 

<どこか憂鬱に感じていること>

・金曜日の夜に、お客さんに対して少し厳しめの意見を述べたメッセージを送信したので、お客さんが僕を嫌に思っているのではないか、嫌っているのではないかと気になって心配。そんなお客さんとやりとりをするのが億劫

→嫌われたくない、という気持ち、心の癖が出てきているだけ

 

・タスクが多くてやることがたくさんあるような気がして億劫

→タスクを細かく書き出して具体化すれば解決できる気がする。不鮮明な状態が一番不安が出てきやすいから。

 

・お客さんや仲良くしてもらっているコンサルタントの期待に応えないといけないような気がして億劫。いつも気を張って頑張っているからやっぱりしんどい。

→「他人の期待に応えなくてもいい」というスタンスで仕事をできたらどれだけ楽だろうか。これは僕の中にある「嫌われるのが怖い」という怖れを起点に頑張らなきゃいけないと思っている、もしくは、やっていることがワクワクすることでないから、無理して頑張っている、という2つの方向性がある気がする。

 

 

と、ここまで書き出してみると、なんだか漠然としたモヤモヤの正体が結構見えてきて客観視できたのでかなり気持ちが落ち着いてきました。

 

月曜日から金曜日まで頑張って、土日を休んで、また月曜から金曜日まで、、、という毎日が続いています。ただ胸に手を当てて、「今やっている仕事は本当にやりたいことなの?自分が心からワクワクするライフワークなの?」と質問してみると、それはやっぱり違う気がするんです。

 

最近は内面を見る、観察するということに重点的に取り組んできましたが、そろそろ自分にとっての「ライフワーク」は何か?というテーマに対しても、真剣に取り組んでいきたいと思います。ワイフワークを見つけるためには、自分の内面ととことん向き合う必要があるかもしれないので、ひょっとしたら同時進行かもしれませんが。。

 

今週からもまた仕事を楽しんでいきたいと思います♪

他人にイラッとするのはそれをやってはいけないと自分が抑圧しているから

親の行動を見ていて「イラッ」としたり「ムカっ」として何か言ってしまう、そんなことは多くの人にあることかもしれません。先日、僕にもそんな出来事がありました。

 

母親が朝からテレビのニュースを見ていて、自動車事故や新型コロナの情報に触れるたびに、「怖いなあ」と呟き続けていました。そんな姿を見た僕は、母に対して感情が動いて「テレビは特に悪い情報だけを切り取ってわざと目立つようにして放送してるんだよ」と思わず言ってしまったのでした。

 

テレビのニュースというのは、大抵ネガティブな情報で満ち満ちています。その方が視る人の感情を揺さぶり、視聴率を取りやすいからです。なのでテレビのニュースが世の中の真実ぐらいに思い込んでいる母は、テレビのニュースに反応するのは仕方がないことだと思います。

 

だけれど、自分の心は反応してしまったわけで、ということは「自分の中に母の行動を許せない何らかの価値観がある」もしくは「母の姿が全く自分そのものでそれをみていられなくて反応している」のどちらかとになると思われます。

 

どんな姿が気に障ったのか? 

まずは具体的に母親のどんな姿が気になったのかを整理してみます。

 

<母親のどんな姿が具体的に気にかかったのか>

・編集側の意図に基づいて必ず情報操作がされているテレビの情報に踊らされて感情を動かしている母の姿

・「怖いなあ」と不安を露わにする母の姿

 

具体的にどう嫌だったのか?

次に具体的にどう嫌だったのか?を考えてみます。

 

<具体的にどう嫌だったのか?>

「不安だ」とか「怖い」という感情は出してはいけないと思っているが、母さんはそれを平気でやっているから僕はそれが嫌だった。実際に自分は仕事で毎日毎日不安で仕方がないけど、その感情を我慢して隠して毎日大丈夫そうに振る舞っている。

 

見つけました。。まさしく、僕自身の中で「不安だとか、怖い、という感情は出してはいけない。それをすると他人に迷惑がかかる、嫌がられる、頼りないやつだと思われる」そんな考えがあります。

 

それを目の前でされたか心が動いたんだなーと自覚できました。本当は自分にもあるこうした考え、感情を、悪いことだと押さえ込んでいるから、母の姿を見て反応してしまったのでした。

 

まとめ

 

自覚できただけでも一歩前進だと思います。僕の次のステップは、「不安」や「怖い」という感情を誰かに吐露して、誰かに迷惑かけて助けてもらうことでしょうか。それをやるだけでも怖いと思ってしまうので、多分アタリな気がしています。

 

正直億劫ですが、これは僕の宿題として取り組んでいきたいと思います。今回のようにこうやって日常の中のさりげない出来事から自分の内面を知る、分析する、という取組は今後も大事にしていきたいです。

ふとやりたいと思ったことは頭で考える前にすぐ実行すべし

何かふと、やりたいな!楽しそうだな!と思ったことはすぐに実行に移すと良い。今日はそんなことを再認識する出来事がありました。

 

最近僕は登山を始めました^^今日はとても良い天気だったので、朝11時ぐらいに窓の外を見たとき、「山に登りに行ったら楽しそうだなあ」とふと思いました。その後すぐに頭の中では「でも登る山決めてないしなあ」「でももうすぐお昼ご飯だしなあ」「でもこの時間から山探して登りに行っても登り始めるのって午後からだからあんまりゆっくりできないよなあ」などなど、でもでもでもの思考がたくさん出てきました。

 

10分ぐらいどうしようかな〜、行こうかな、やめとこうかな、、とゴニョゴニョ考えていたのですが、やっぱりあまりに良い天気だったので思い切って出かけることに決めました!そう決断した途端、なんだかワクワクしてきて、約30分後には準備を整えてすぐに出発しました!

 

山に向かう道中は最高に綺麗で、ドライブしながら最近購入したお気に入りの音楽を聞き、それはもう幸せな時間でした!!山に到着すると13時からいざ入山!ワクワクは止まらなくて、ずっと楽しい時間が続きました。なんといっても、本当に景色が綺麗だったんです。

 

約1時間半ぐらい山を歩いた時、急に視界が開ける空間に出た僕は、本当に心が喜ぶそんな感覚を覚えました。僕が見た景色は、「こんな景色が見たいから登山をしよう」そんなふうに僕が思うようになった最初の思いを呼び起こさせるもので、見るだけでとっても心が満たされ幸せな気分になりました。

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頂上付近からの景色(白草山)

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頂上付近からの景色(白草山)

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頂上付近の景色(白草山)


今日は登山をしに行って本当に良かったと、何度も何度も心の中で感じました。とっ散らかった文章になってしまいましたけど、一番整理しておきたかったのは、「自分がやりたい」「やってみたい」と思ったことはすぐに実行に移すこと。それを大事にしたいということです。

 

後から出てくる「でも〜だし」だとか「〜の方が意味があるし」とか、そういう心ではなくて、頭の中の思考から出てくるものに影響されてはいけない、ということです。意味があるからやる、得するからやる、損したくないからやる、ではなくて、「心が求めているからやる」「やりたいからやる」そうした感覚を大事にしたいと強く思いました。

 

今日は行動に起こして本当に良かったです♪

 

P.S.

登山をした後は毎回温泉に行きますが、この登山&温泉コースはもう最高で、幸せだなあとつくづく感じています。

お金に対する不安=自分の存在価値に対する不安だと気づいてマジで驚いた

お金に対する不安というのは多くの方が抱えていることと思います。最近ふと、「なぜ自分はお金が欲しいのだろうか?なぜ不安に思う気持ちがあるんだろうか?」と思うことがありました。
 
不安に思っていることは非常に現実化しやすいですし、自分が抱えるお金に対する不安や考え方を自覚してそれらに対処することはとても重要だと思ったので、ちょうど良いということで整理してみることにしました。
 

そもそもどんな状況が不安を引き起こしているのか?

 
まず、自分がどんな状況でなぜ不安を感じているのかを整理してみます。包み隠さず書くと、僕は現在月給が大体40万円(額面)前後で、結婚もしていないので普通はお金に困ることはそれほどないと思うのですが、いたって普通じゃないことがあります。
 
それは、以前ブログにも書きましたが、僕自身が昨年詐欺被害にあって500万円を持っていかれた(笑)のと、そのうち300万円は消費者金融から借金して準備したお金だったので、今はあろうことか毎月借金の返済をしているという現実があります(爆笑)。毎月20数万円を返済しているので、手元にほとんどお金は残りません。
 
ほとんど残らないと言っても、今は実家暮らしをしているので家賃がかからない分、外にご飯を食べに行ったり、誰かにご馳走したり、本や漫画を購入したりとそうしたことはまだできる程度にはお金は残ります。ただし、貯金をしたり、数万円以上の買い物をしたりという余裕や贅沢をするようなお金は今時点では正直ありません(毎月の借金返済額を抑えればもちろん可能ではありますが。。)。
 
一方で、僕は物欲はあまりない方なので生活に不便さ自体は感じていないのですが、どこか現状の自分に不安を感じています。
 

何を不安に感じ何を怖れているのか?

 
ではなぜなぜ借金を抱えていることや、貯金がないことが不安なのだろうか?なぜお金をもっと欲しいと思っているのか?何を不安に思い、何を怖れているのかを書き出して観察してみます。
 
<不安や恐怖>
・毎月借金の返済をする必要があるため今の自分には全く貯金がないことが不安。「30歳独身だったらある程度の貯金はあって当然だ」みたいな固定観念があって、そこから外れている自分を恥ずかしいような気がしてしまう
 
・良い人をこれから見つけて結婚したいと思っているが、結婚式をあげるためのお金や指輪を買ってあげるためのお金がなくて恋人を悲しませて嫌われてしまわないかと不安
 
・お金がないことで恋人(まだいない)を喜ばせてあげられないんじゃないかと不安
 
・お金がないことで恋人(まだいない)に愛想を尽かされる気がして不安
 
と、ここまで書き出してみて分かったのですが、そもそも現状では僕は何も困っていません(笑)。不安は勝手に自分がイメージして、そのイメージから勝手に自分が不安や怖れを引き起こしているのでした。。
 
かつ、次のことに気づいてとてもびっくりしたのですが、、僕の不安の根源は、、
 
「お金がないこと」から生じているのではなくて「自分は価値ある存在だと心から思えていないこと」から生じている
 
ということがわかったのです!!!
 
というのは、そもそも「自分は存在するだけで価値がある」と心から思えていれば、お金がなくても恋人を幸せにできる、と自然に思うことができます。自分には価値がないからお金で喜ばせる必要がある、お金がないから嫌われる!なんていうふうに思ってしまっているわけですね...汗
 
「自分は存在するだけで価値がある」と心から思えていれば、自分は魅力的なんだから恋人(しかもまだいない 笑)に愛想を尽かされる、なんていう発想自体がそもそも出てきません。
 
「自分は存在するだけで価値がある」と心から思えていれば、自分自身が自分の存在を全肯定する安心安全の世界にいますから、まだ見ぬ恋人を悲しませて嫌われるんじゃないか、という怖れも出てきません。
 
「自分は存在するだけで価値がある」と心から思えていれば、貯金がないことなんて関係ありません。なぜなら心から自分を価値ある存在だと思っているなら、生きているだけで幸福感に満たされているわけで、「借金がないから幸せだ」「借金がないから僕は立派な価値ある人間なんだ」という発想にはなりませんから。
 
自分で言うのもなんですが、、、お金に対する不安は「自分という存在の価値を信頼していないこと」を起点に発生している!!ということに気づいたのは、すごい発見だったと思います。これだからこうやって自分の内面を観察するのはやめられません 笑
 
お金がなくて不安 → お金を増やす方法、稼ぐ方法を考えよう!! という発想ではなくて、お金がなくて不安 → 自分が評価する自分の存在価値を高めよう!という発想に今回は至りました。
 
僕は毎日お風呂場の中で「俺はすごい、どうせ愛されてるし」に加えて、「自分には価値がある、素晴らしい存在出し」とぶつぶつと呟いていますが、この取り組みは今後も毎日続けていきたいと思います。これを続けて行った先に、自己肯定感が高まり「自分は存在するだけで価値がある」と心から信じられる未来、そしてお金に対する不安から解放される未来がやってくると信じていますから。

「人に嫌われたくない」という気持ちが「仕事ができない」人の根本原因

今日は久々にオフィスへの出勤日でした。僕には仕事がよくできる7つ年下の同僚がいるのですが、お客様との打ち合わせ中の彼の振る舞いを見ていてとんでもない事に気づきました。

 

それは、、彼は、「人から嫌われることを全く怖れていない」ということです。

 

僕はこれに気づいてハッとしました。

 

なぜなら、僕の場合は仕事をしている途中、多くの場合打ち合わせ中にいろんな不安が湧いてきます。

・こいつ何にもわからないやつだからこれ以上質問しても無駄だと思われたらどうしよう

・こいつは理解力のないやつだから話しても意味がないと思われたらどうしよう

・こいつと一緒に仕事したくないって思われたらどうしよう

・お客さんを不機嫌にさせてしまったらどうしよう

・気の利いた答えを返せなかったらどうしよう

・何も喋れない、どうしよう。。。。

 

こうした不安が頭の中をぽんぽんぽんぽんよぎるので、気付くと大抵の場合、どんどんどん頭の中が真っ白になっていったり、緊張したり、振る舞いもオドオドしてしまいます。なのに営業をやってるっていう...笑 そう考えると、そもそもこうした不安が出てこなければ僕は普通に支障なく仕事ができるということです。

 

そして冒頭に書いた仕事がよくできる彼ですが、彼を見ていると本人は全くそんな不安は抱えていないようなのです。それは仕事だけでなく彼の人との立ち振る舞いからも分かるのですが、彼は普段から人に対して、年齢関係なく冗談を普通に言っています。例えば、年上の人を「坊や」と呼んだり、年上の人をいじったりしているわけです。

 

これは、彼の中に「人から嫌われたらどうしよう」という恐れがないからこそ、できる技です。

 

思い返してみれば、僕の場合は「この人は自分のことを受け入れてくれている、好きでいてくれている」と分かった瞬間に、安心して緊張することなく普通に接して話すことができるようになる気がします。それが分からないまでは、二人で過ごして話すことがどこか気まずかったり、居心地が悪かったり、面白い話をしなきゃいけない、とかを考えて、これまた緊張してどんどん頭の中が真っ白になっていくという性質があります。

 

なので、僕の中で「人に嫌われてもいい」これをしっかりと思えたときに、僕は日常生活でも、仕事でも素の自分を出して心穏やかにすごせるようになるのだろうと今日はふと思いました。

 

7つ年下で仕事ができる彼は、よく「少し馴れ馴れしすぎるんじゃないか。。。汗」と僕が感じたり、少しイラッと感じてしまうことはよくありますが、彼の行動を見ていて今回こうした素晴らしい気づきを得ることができました。また、僕の中で「それは人を怒らせたり嫌われるからやっちゃダメなこと」と、とてもできそうにないことを彼が平気でやっているからこそ、僕は彼の行動を見て感情を動かしているんだと思います。

 

彼を師匠だと思い、彼の行動から学び、不要な自分の中の枠をぶち壊して、ますます心豊かに生きていきたいです。「人に嫌われてもいい」この言葉を呟き続けてまずは自分の内面を変えていきたいです。

迷惑かけて嫌われてもいい、一緒に仕事したくないって思われてもいい、担当を外されてもいい

仕事が億劫に感じる時というのは誰にでもありますよね。最近仕事をしていてよく思うのですが、「仕事を楽しく感じる時」と「仕事を億劫に感じる時」の温度差が非常に激しく、どちらかというと後者の時間が多くなってきました。

 

漠然となんか嫌だなあ、億劫だなあ、で終わらせてしまうことももちろんできるのですが、それをしてしまうといつまで経っても状況は変わらず同じ気持ちのままになります。

 

そこで具体的に自分は仕事の何が億劫に感じているのか?を明確化したいと思い、それらを自覚することで、状況を客観視して気持ちの負担を軽減する、かつ、自分にはどんな課題やまだ癒えていない心の傷があるのかを分析してみることにしました。

 

億劫に感じることを具体的に書き出してみる 

 

まずは億劫に感じることを書き出してみます

 

<仕事の中で億劫に感じる状況、場面>

・わからないことを自分なりに整理して、どう対応したらいいのか同僚や上司に相談することが億劫。相談することによって他人からイヤな顔をされたり、「それぐらい自分でやれ」と言われたり「そんなこともできないの?」とか「お前と仕事したくない」と言われそうでとても怖い

 

・お客様からLINEで次々に寄せられる質問に対してどう回答していいのか、そしてどう対応していいのかわからない状態に度々陥ることがしんどい

 

・タスクが多くて、あれもできてない、これもできてないと追い込まれたように思い不安な気持ちになる。できてないと関係者や上司に怒られて責められる気がして怖い。

 

・苦手な職場のZさんから指摘&叱責を受けたり、自分の意見や思いに耳を傾けてもらえなくてそれが悲しくて、自分という存在をぞんざいに扱われているように感じる。そんな打ち合わせの場面を体験して、それがZさんとの打ち合わせの度に発生しそうで億劫。

 

・お客様との打ち合わせでは自分が役に立てるイメージがわかず、打ち合わせではお客様の話を聞くことしかできなくて「担当を変えてほしい」とお客様から言われるんじゃないかと思って、それがとても怖い。言われることによって、自分は「役に立たない存在だ」「能力が低い人間だ」と感じる気がして悲しい。

 

・仕事を失敗して周りから責められて「土屋さんは担当を外すべき」とか「手に負えない」とか「考え方がおかしい」とか、そんなふうに言われそうでとても怖い。それを言われることによって自分は「役に立たない存在だ」「能力が低い人間だ」と感じる気がして悲しい。

 

と、、書き出して見たわけですが、漠然として抱えていた不安をこうやって具体的に文字にしてみることで、「なるほど自分はこの部分がイヤだったんだなあ」とかなり明確になりました。やはりモヤモヤと思っていることは書き出してみることがとても重要です。

 

怖れは前職での体験から来ていた

 

そしてこれらを眺めてハッとしたのですが、書き出した内容は全て、前職での体験が尾を引いていると気づきました。書き出した不安や怖れは、どれも全て前職で僕が実際に体験した出来事ばかりだったのです。

 

ここからわかるのは、僕が無意識のうちに「同じ体験を二度としたくない」と思って、心が激しく反応する現象が起こっているということです。それこそが億劫さを感じる原因だったのだと今回のワークではっきりしました。「目の前である出来事が起こったから」しんどい気持ちになったのではなく、出来事を目にして「古傷を思い出して」しんどい気持ちになっている、ということです。

 

過去は終わったことであり、今自分がいる環境は全く違うし、僕の内面も以前とも違う、そして周りにいる人は優しい人ばかりです。だから状況も環境も変わっているにもかかわらず、内面だけがビクビクしているのでした。

 

そして過去と同じような状況に陥ることに対して、強烈にバツをつけている。仕事ができない自分に強烈にバツをつけている。周りに迷惑をかける自分に強烈にバツをつけている。できない自分に強烈にバツをつけている。。

 

しかし、もしもそんな自分を許すことができたら、きっとスッと心が楽になるはずです。許せないし、ダメだと思っているからしんどいんですよね。

 

自分の中の怖れを薄れさせるためのワーク

 

「言いたくない」だとか「受け入れたくない」「気持ちが悪い」といったような、発するだけで自分の感情が動く言葉にこそヒントがあります。感情が動くということは、自分でその言葉を「受け入れられない」「許せない」と思っているということですから。

 

自分の一番感情が動くことはどういう言葉だろう??書き出しワークの次には、そうしたことを考えながら言葉を探していったところ、最終的に次の3つが浮き上がってきました。これらの言葉を見つけた途端、直感的に「あ、これだわ。見つけたわ」って思いました。それは次の言葉でした。

 

・周りに迷惑かけて嫌われてもいい

・一緒に仕事したくないって思われてもいい

・担当を外されてもいい

 

口にするだけで苦しくて苦しくてたまらなくて涙も出てきました。苦しいですが、これら3つの言葉を呟くことで、失敗することの怖れ、他人から嫌われることの怖れが薄らぎ、ビクビク、ドキドキする気持ちが薄れていくはずです。

 

強烈にダメだとバツをつけていたことを自分の中に受け入れ、それをしようと取り組むことで、段々と心が軽くなっていくので自然と仕事中の緊張もなくなっていく。なぜなら、「それでもいい」と自分に許可を出しているんですから。そして気づけば、それまでうまくできなかったことがいつの間にかできるようになっている、そんな現象が起こります。

 

この三つの言葉を、仕事を始める前と、昼休み休憩に毎日100回呟くようにしたいです。そうして少しずつ自分の中の怖れを解放して心穏やかに生きられるようにしていきます。

苦手な人は自分の師匠。自分の癒えてない傷に気づき感情を認める

「なんであんな言い方するんだろう」とか「なんであんな振る舞いするんだろう」という感じで、イライラモヤモヤ、翌日になってもモヤモヤ。。そんな体験って誰にでもありますよね。僕も数日前、仕事の中で感情がぐわああーと動くことがありました。

 

会社の同僚であるZさんと話していてそんな体験をしたのですが、感情が動いた時は自分がどんな価値観を持っているのかを分析したり、自分の中にある癒やせていない傷を見つけるチャンスです。今回は、日常のイライラモヤモヤをきっかけに自分の中にある恐れや不安、まだ癒やせていない傷を整理していく話です。

 

Zさんは僕に、終わらせる事ができていない心の傷があることを教えてくれている

 

Zさんとの件があってからは、僕はいつもの習慣で、

 

「ああ、こんなに感情が動くのは久々だわ。。自分の中に終わらせることができていない傷があるんだなー、Zさんのどこがそんなに嫌だったんだろうなー」

 

とここ数日考えていたところ、ふと思い浮かんできたのは、Zさんの立ち振る舞いや言動が、前職で辛かった経験とかなり重なるっぽいぞ、、ということでした。

 

というのは、僕は前職では毎日ひたすら怒られ叱られ続けて、それはもう、心身ともにボロボロの状態で自己否定と自己非難の毎日でした。そんな生活を四年半続けていたのですが、その暗黒時代当時、僕を叱っていた、怒鳴り散らしていた、風当たりが強かった上司や同僚たちの物言いや言動、振る舞いがZさんのそれととても似ていることに気づいたのでした。

 

この事実に気づいただけでもかなりの収穫なような気がしたのですが、一方で僕が前職を辞めてからかれこれ3年半程度が経過しているので、やはり心の傷は根深く残ることを実感...汗

 

そして冷静な心で考えてみると、Zさんの言動にこんなにも自分の心が反応しているということは、Zさんは僕の終わらせる事ができていない心の傷、そして手放す事ができていない不要な価値観を持っていることを教えてくれる、師匠的な存在なのかあーと思えたりもしてきました。(もちろん、Zさんと向きあってコミュニケーションしている時間はとてもしんどいですが。。。)

 

他人のどんな言動が心に引っかかったのか? 

この今の状況は、自分の内面を観察し、向き合い、癒えていない傷を癒すことで、もっともっと自分が心穏やかに生きるための、自分にとっての本当に大切で貴重な機会なわけです。そんなことを思った僕は、じっくり内面と向き合ってみようと考え、その手始めにまずはZさんの言動や振る舞いを整理してみました。

 

<僕からみたZさんの言動や振る舞い>

・Zさんは仕事ができるし、ロジカルに考えられる人物である(と僕は思っている)

 

・僕のできていないことをできていないと指摘して怒り始めるところがある(怒っているように見える)

 

・顔がちょっと怖い(と僕は思っている)

 

・「こうしろ」「ああしろ」と、自分がアドバイスを求めていないにも関わらず干与してくる

 

・考えてわからないんだったらすぐに聞いて と言ってくる

 

・自分の中にある仕事の常識や基準を僕に求め、押し付けてくる

 

・僕がどうすればいいかわからなくて相談すると、「もっと考えてから質問してほしい。わからないと言って質問してくるんなら土屋さんがお客さんの窓口に立ってる意味あるの?」と怒り始める

 

・ものの言い方がキツい(と僕は思っている)

 

 ・僕から質問をするたびに否定されたり、僕から意見を言う度に言葉を遮られたりして、自分の意見を聞いてもらえない。Mさんが一方的にどんどん話しをする状態

 

・夜22時を過ぎても平気で打ち合わせ、雑談を続ける

 

・頑張った分だけ稼げると考えている

 

・目標がないと人生が楽しくないと考えていて、「目標を見つければもっと楽しくなるから見つけたらいいのに」と考えを主張してくる

 

・自分が自己開示して自分の思っていることや考えを話したときに、それに対する共感が一切なく、「もったいない」だとか「こうしたらいいのに」という意見をぶつけてくる

 

僕からみたZさんの言動や振る舞いはこんな感じになりました。

 

 

こうやって書き出してみると、前職で僕が経験して心身ともにボロボロになっていた当時の上司や同僚と本当によく似ているなと実感できました。当時と違う点といえば、「罵声を浴びせてこない」「たまに褒めてくる」「労いの言葉をポツポツかけてくれる」というところでしょうか..笑  

 

Zさんと話をしているときに自分がどういう状態になっていたかを思い返してみると、前職の時に何百も体験してきた「頭の中に白いモヤがかかったような感じになって思考がフリーズする、日本語が入って来なくなる」という感覚に、一瞬襲われて懐かしい感じがした、、、なんていう状態だったことも思い出されました...苦笑

 

どんな気持ちをわかってもらえなくて悲しくて辛かったのか

 

また、 Zさんの言動を書き出してみたことにより、「なるほど、自分はZさんのこういう部分が嫌だったんだな、気になったんだな」ということもより見えてきました。次は僕自身が何が嫌だったのかを明らかにするために、Zさんのどんな行為に自分は何を感じていたのかを書き出してみます。

 

<自分の感情>

・自分の思っていること、考えていることに耳を傾けてもらえなくて、話を聞いてもらえないことが、自分の意見を尊重してもらえていないように感じて、自分の存在を大切にされていないように感じて悲しかった

 

・これ以上できないレベルで毎日仕事を頑張っていて、それでも手が回らないという状況を理解してほしかったけど、それを聞いてもらえなくて悲しかった

 

・Zさんの求める基準に対して僕が至らなかったとき、それに対する指摘の表現や伝え方がキツイように感じて、責められているように感じて悲しかった

 

 ・Zさんのものの言い方が風当たりが強いように感じられて、相談するたびに毎回それを感じるから、何か相談したい事があっても、また同じように言われるのが億劫に感じて、心理的に関わりたくないと思い始めた

 

・僕に仕事の依頼をしたZさんが、僕の対応の仕方に怒り始めるなら、そもそも依頼をするときに自分が求める基準や注意事項を事前に共有してほしいと感じて腹が立った。自分が一方的に責められているような印象を受けて悲しかった(一緒に担当しているお客様に対して、問い合わせに対しては1時間以内に返事を返してほしい という指摘を受けた)

 

・夜遅くに社内mtgを開催して、そのmtgの中で雑談や関係のない話をして、mtgの時間を伸ばされる行為がとても嫌で腹が立った。僕の大切な時間を使っていることを一切無視して、配慮が全くされていないようで悲しかった。

 

・相談したときに、タスクに対して僕が抱えている感情や状況を一切聞くことなく「自分で考えて行動して」という突き返すような反応の仕方が、自分の思いや困っていて苦しい状況を理解してもらえなくて悲しいと感じた

 

・自分が忙しくて手が回っていないことについて「できてない」と指摘されるだけでなく、あたかも僕が全く知らない、考えてないかのように、「こういうパターンはこうすべき」「土屋さんにはこういうところがある」と正論を振りかざされることに腹が立つ

 

と、Zさんとコミュニケーションを取る中で僕が抱いていた感情はこんな内容でした。ここまで書き出してみると、なぜ自分があんなにイライラ、モヤモヤしていたのかがより鮮明に見えてきました!

 

自分はどんな価値観/考え方「〜すべき」「〜しなきゃいけない」「〜した方がいい」を持っているか?

 

 続いてここからは、僕がどんな価値観/考え方「〜すべき」「〜しなきゃいけない」「〜した方がいい」を持っているかを整理することで、どんな価値観/考え方に反する行為をZさんがしたから、僕の感情が動いたのかを明確にしたいと思います。

 

<自分が持っている価値観/考え方>

・他人の意見には尊重して耳を傾けるべきだ

・他人の頑張りや努力は認めるべきだ

・相手を不快な気持ちにさせないように、モノの言い方には気をつけるべきだ

・他人に仕事を依頼するならば、求める成果を明確にするために事前にアウトプットの形を明確にして依頼側から伝えるべきだ

 mtgでは、関係者の時間を奪わないように要件を的確に話すべきだし配慮すべきだ

・人は感情で動く生き物だから、正論を振りかざすのではなくて、相手の気持ちを尊重してコミュニケーションをすべきだ

 

こうやって書き出してみると、自分がどんな価値観を持っているか、よりはっきりと見えてきます。これらは単に僕にとっての常識であり、当たり前に「すべき」と思っているルールです。しかしもちろん自分だけのルールですので、皆が同じように考えているわけではありません。

 

人はこうした自分独自のルールに反する行為を見た時、それが許せないと思って感情が動くんですよね。

 

自分の気持ち、本音を伝えるとどうなりそうで怖かったのか?

 

さて、冷静に考えてみれば、Zさんとのコミュニケーションの中で、僕はその場で自分の気持ちを伝えることもできたはずですが、それをできずに自分の中に溜め込んでしまったからイライラモヤモヤしてしまったわけです...汗

 

そこでここからは、「どうして自分の気持ちを伝えることができなかったのか、本音を言うとどうなりそうで怖かったのか」を整理していきます。自分が怖がっていること、不安視していることを整理することで、自分の中の癒す事ができてない感情(インナーチャイルド)、どんな思いがあるのかを明らかにします。

 

<どうして伝える事ができなかったのか?自分の気持ち、本音を伝えるとどうなりそうで怖かったのか?>

 

①自分が忙しいことや状況を伝えた時にZさんから「あなたの努力不足でしょ?努力不足のあなたが悪いんでしょ?」と言われそうで怖かった

 

②夜遅くのmtgで「雑談はやめてください」「もうこの話は終わりですよね?」「もう話すのはしんどいしやめたい」と発言すると、他のメンバーから「こいつは空気が読めない奴だ」「話のわからない奴だ」と思われて冷たい目で見られそうで怖かった

 

③Zさんに助けを求めたときに「そのくらい自分でやれ」「そんなこともできないの?」「こいつは能力の低い奴だ」と思われそうで怖かった

 

④何か質問や自分の意見を主張した時に、前職のように「お前はほんまにアホやな」だとか「そんなこともわからないの?できないの?」と言われたり、苦虫を噛み潰したような表情をされそうで怖かった

 

⑤自分の意見を行った後にそれに対する意見が相手から返ってきて、その意見に対してどう答えたらいいかがわからず、僕の頭の中が真っ白になって論破されて自分が惨めな思いをしそうで怖かった

 

と、こんな感じになりました。書き出してみて思ったのは、共通してどれも「過去のあの辛い体験をもう2度としたくない」という怖れが根底に流れていて、僕はそれを引きずっているということでした。過去に体験した怖れが僕の中に残っており、もう2度と同じ体験をしないように、防衛反応として、無意識のうちに僕の心が反応して感情が動いていたわけです。

 

どんな体験から怖れを持つことになったのか?

 

ここからは、書き出した①〜⑤を持つことになった原体験、つまり自分が怖れを持つことになった体験を整理することで、自分がどんな体験をきっかけにそうしたインナーチャイルド(抑圧され癒やされていない感情)を抱えることになったのかを見ていきます。現時点で思い当たる体験を書いていきますが、この部分はまた時間が経つにつれて芋づる式に思い出したりして、後々変わっていくのかもしれません。

 

中学時代、囲碁のプロ棋士を目指して頑張っていたり、受験勉強を頑張っていた当時、一日13時間毎日勉強したり、お風呂を2日に1回にして頑張ったりしていた。それに対して父親は「プロになったり東大に入るような奴は1日15時間以上はやってるわ」と言われて、自分はどこまでいっても努力不足なんだと思うようになった

 

小学生時代、仲良く遊んでいた友達が複数人いたが、囲碁のプロ棋士を目指し始めた僕は囲碁を打つ時間を確保したくて、友達の誘いを断るようになった。そこから「ノリが悪い」だとか確か何かを言われて、友達の輪に入りづらくなった??みたいな体験があって悲しかった(あんまり思い出せない)

 

中学時代、必死に必死に努力しても野球が上手くならなかった。周りからは「なんでそんなに努力してるのにできないの?」「何をやってもダメだな」と言われたり、馬鹿にされたりした。「自分は能力の低い無価値な人間なんだ」と思うようになり、自分に絶望して心身ともにボロボロになって自信を失った。

 

中学時代、体育祭での応援の振り付けを僕だけ一向に覚える事ができず、周りの子から僕だけ外されて一人だけ個別で隅っこで特別指導をさせられる経験がとても恥ずかしかった。中々覚えられなかった僕は、教える側の先輩から「もういやー」だとか言われて教える側の担当がコロコロ変わったりして、すごく悲しかった。自分は物覚えが悪い、頭が悪いと思うようになった。

 

新卒入社した会社で、ひたすら尊厳を否定する罵声を浴びせられ続けたり、相談や打ち合わせをするたびに苦虫を噛み潰したような目見てくる人がいて精神的に参ってしまった。細かく文字にするのは控えるが、精神的に本当に病んでいた。

 

新卒入社した会社で、「こいつはアホだ」「お前はバカだ」「考え方がおかしい」などと散々言われ続けた。何か相談や質問、考えを伝える度に全て否定される、突き返される、聞く耳を持ってもらえない、それがとても辛かった。話しかける度に嫌な顔をされるし怒鳴られるから上司や同僚が怖かった。

 

もちろんこうした過去を思い出して悲観的になる必要は一切ありません。このような体験を通じて傷ついた自分の感情を癒すことなく、無意識下でそのまま抱えているからこそ、今回Zさんとのやりとりの中でこれらの感情が無意識に反応して、僕の感情がぐわああーと動いて不安や怖れが出てきたわけです。

 

過去を引きずる必要はない。辛かった体験を癒して次のステージへ進む

 

しかし、過去の経験をずっと引きずる必要は一切ありません。もう過去の体験は過去の体験で、終わらる、辛かった体験を引きずるのはもう終わらせる、と自分で決めていいです。

 

まだ癒やされていない抑圧された感情(インナーチャイルド)を癒すためのワークとしては、これらの辛かった当時の体験を思い出して、ありありと当時の感情に浸り、辛かった自分をヨシヨシと慰めてあげること、そして僕にひどいことをした人たちにイメージの中で出てきてもらって、彼らに当時言いたかったことを思いっきり言う事、伝えるというものがあります。

 

このワークは以前したことがあり、それはもう涙をボロボロ流しながら取り組んだので(以前ブログで書きました)、自分の中では結構癒やせていたつもりだったのですが、まだまだ傷が言えていないんだな。ということが今回わかりました。

 

どういう体験から怖れを持つようになり、そしてどんな心の癖(出来事に反応してしまうパターン)を現在抱えているのかをここまでの書き出しを通じて客観視できたので、今回の書き出しワークは非常に有意義だったと思います。

 

安心安全の世界へと進み豊かさを手に入れるための次の宿題

 

僕にとっての次の宿題は下記の通りかなと考えています。

  1. インナーチャイルド(抑圧されて癒やされていない感情)が出てきたときに、過去の辛い体験を思い出して、寄り添って感情を癒すワークをする
  2. 自分が怖くてできないこと、やりたくないことをやる

 

1については、インナーチャイルドが出てきて不安や怖い気持ちでいっぱいになったタイミングで随時取り組むとして、直近やりたいのは2です。

 

2をやるのは、これをやることで「あ、やっても大丈夫なんだ」「あ、言っても大丈夫なんだ」「あ、自分は愛されてるんだ」と自分の視界が開け、怖れが外れ、枠が広がるので、心穏やかな安心安全の世界へとまた一歩自分が進む事がになります。そこでここからは、自分が怖いこと、やりたくないことを書き出してみます。

 

<怖いこと、やりたくないこと>

・「自分の意見や考えを聞いてもらえなくて悲しい」とZさんに伝える

 

・「正論ばっかりぶつけてこないでください。僕の感情にも配慮してほしい」とZさんに伝える

 

・Zさんに「できません、助けてください」と言って仕事を依頼して僕は遊びに行く

 

・夜の打ち合わせ中に雑談が始まったら「要件は終わりましたよね?それなら僕はここで抜けます」と言ってmtgを退室する

 

まだ出し足りないような気もするのですが、今思いつくのはこんな感じでしょうか。これらをやることで、また一歩安心安全で豊かな世界へと近づけるはずです。やりたくないことですけど、やりたいことではあります 笑

 

まとめ

 

昔、尊敬する師匠からこんなことを教えてもらいました。

ーーーーーーーーーー

大抵の人は、本音を伝えるのが怖いから相手に言わなくていいように、相手に本心を確認しなくていいように、自分で勝手に解釈して自分が怖い思いをしないための理由づけ(あの人は私のことが嫌いなんだ、とか、私はどうせ◯◯なんだ、とか)を勝手にしているだけ。

 

豊かになりたい、人生を幸せに生きたいと思うなら、それが一番ダメなことであって、相手に対して勝手に「こう思われているからきっとこうだ」という勝手に解釈して拗ねるのはやめる必要がある。

 

自分の感情や気持ち、衝動といった自分の中にあるものを否定したり、無くそうとしないこと。自分で自分の感情を認めて、自分の気持ちに寄り添うこと。納得してないから自分の中に怒りや、不満が湧いてくる。そして相手に伝えなかったら、「こういう振る舞いをしても大丈夫なんだ」と無意識に思われてしまう。

 

だから、本音を伝えることがとっても大事。そして、勝手な思い込みをやめること。本音を言えていないというのは、本当の自分を出すことによって嫌われるのが怖いということ。自分が怖くて出来ないことをやっていく。安心安全の世界で生きるには それをやっていけばいいんだよ。

ーーーーーーーーーー

 

この師匠の言葉にもあるように、自分の感情を認めて、相手に本音を伝えること。これが本当に大事です。そしてそれをする前段階として、今回取り組んできたように、自分が他人のどんな行動に引っかかっていて、それはなぜ引っかかったのか、どんな癒えていない感情を抱えているのか、そして自分がどんな本音を持っているのかを細かくみていきました。

 

今回のこの記事は、かなりの長文になりました。数日間にわたって自分の中にある思いや感情を文字にして整理してきましたが、僕にとっては本当に価値のあるものになったと感じています。引き続き、心のお稽古を続けながら豊かで安心安全の世界へと進んでいきたいです。

 

Zさんに自分の本音を伝えてどうなったか、についてはまた今後実行した上で、記事にしていきたいです。

他人に意見したくなる時は自分の中に終わっていない課題がある

今回は、自分が他人に何かを言いたくなるときは、「これは自分の中に課題があるんだなあ」と感じた話です。

 

今朝、こんなことがありました。僕は現在実家で父母と一緒に暮らしています。母は平日は基本的にパートさんとして某給食センターでアルバイトをしています。アルバイト先への出発準備をしていた母が、何かを触っていたので「それ何?」と聞くと、「補聴器。耳が悪くて音が聞こえづらいからしている」という回答が返ってきました。

 

そこから話が展開して母が給食センターの同僚からこんなことを言われると、言いました。

 

母:「XX(母の苗字)さん、話聞いてますか!?ぼーっとしてないでくださいね!!」って言われるけど、こっちは真剣にやってるけど聞こえない。だから腹が立つ。母さんが悪いんやけど、みんな声が小さいもんで聞き取りづらいんやおね。

 

僕:別に母さんが一方的に悪いわけじゃないよ。伝える側には伝える責任がある、聞く側にはちゃんと聞く責任があるから。聞こえてませんって言ったらいいんじゃないの?

 

母:そんなの私だけのために大きな声で喋ってもらうの申し訳なくてできんわ。

 

僕:母さんが「聞こえません」って伝えないから、周りの人からは「XX(母の苗字)さんはぼーっとしてる人なんだな」って思われちゃうんだよ。だから自分が思ってる本音を伝えた方がいいよ。

 

ここまで会話すると、母は話を変えて立ち去って行きました。

 

ここでふと思ったのですが、母に向けて言っていたのは、本当は自分に対して言ってたんだなと気づきました。自分が自分の思ったことを本音を伝えるという行為をまだまだ実行できていなくてそれをもどかしくて、課題だと自分の中で思っていたからこそ、無意識にそこに反応してしまって、その結果母親の行動を許せないという気持ちがあって、反応したんだなと。

 

だから、自分の口から出る言葉、相手をコントロールしたいと思った時には、これは自分の中に課題があるということを自覚しないといけないなと感じました。

 

毎日心の修行です。日々自分が発する言葉だったり、無意識のうちに相手に自分の意見を言って相手をコントロールしたい気持ちが出てきた時には自分の内に立ち返るようにしたいです。今日はそんなことを思いました。

日常の小さな行動が何を起点としているのかを客観視する

仕事をしていて、「お客様からメッセージが来たらすぐに返信しないといけない」そんなふうに思っている方は多いかもしれません。お客さんの期待に応えたい、喜んでもらいたい、そんな思いからの行動ならOKなのですが、例えば「期待に応えなければならない」「喜んでもらわなければならない」という考えで動くのは、好ましくないことです。

 

ちょうど先日こんなことがありました。

 

お客様とはLINEで繋がっており、普段からLINEをコミュニケーションツールとして仕事のやりとりをするのですが、先日はお客様からの連絡が夜20時以降にぽつぽつとやってくるのでした。そんなふうに届くメッセージに対して僕は、その日は退勤しているにもかかわらず、「対応しなければいけない」と考えて、メッセージに返信を続けていたのでした。

 

そんなときふと、「これって、お客さんに好かれるために自分が嫌々対応していないか?」「本心ではもう疲れているから返信したくないと思ってるよね」そんな思いが湧いてきて、

 

ああ、これは「しなければいけない」で動いてたんだな。他人から好かれるために動いてたんだな、ということを自覚し、それがわかったのでもう返信するのをやめました。

 

お客様からメッセージが来ると、僕の場合は反射的に返事をしなければならない(営業職あがりであることは強く影響していると思います)と思ってしまうのですが、反射的に行動するのではなくて、一度自分の本心、心の声に耳を傾ける必要があるなと感じました。

 

これをしないと、自分の心の声を無視することになりますから、どんどんどんどん疲れ果てていき、近い将来仕事が嫌になることは目に見えています。なので、今回の事例のように「しなければならない」「やったほうがいい」で行動している姿が日常の中には気づいていないだけでたくさんある様に思うんです。これを一つ一つやめていくことができれば、必ずもっと生きやすくなる、人生が豊かにある。

 

日々、こうした些細な自分の行動を振り返っていきたいと感じる出来事でした。

「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」を1年間言い続けたらこうなった

「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」を毎日言い続けて、知らないうちに先週で1年が経過していました。。。最近ブログを再開したので、このタイミングで振り返っておおきます。

 

毎日毎日お風呂の中でぶつぶつぶつぶつ「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」という言葉を僕は呟き続けてきました。思い返せば「そんなんで人生変わるの?」と最初は半信半疑で始めた取り組みでしたが、結論から言うと、マジで人生が変わりました。。。

 

もし今、自分に自信が持てなかったり、自分に対して卑屈になっていたり、人生が楽しく思えない人がいたら、ぜひお勧めしたいです。これは本当に魔法の言葉だと思います。前置きはこれくらいにして、早速本題に入りましょう。

 

「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」を毎日言い続けてどう変わったか?

正直、一年前の自分と内面が変わりすぎてて、昔の辛かった時代のことを忘れ始めていて、何がどう変わったかよくわからない状態になってます(°_°)。。。ざっと僕の身に起こった変化を箇条書きで書き出してみました。

 

僕の身に起こった変化

・何かができなくて失敗したり他人から怒られたりしても自分を一切、責めなくなった(自分の存在価値とは切り離して考えられるようになった)

・自分はすごいんだって思えるようになった

・鬱になることが全くなくなった

・従来よりもずっとたくさんの本音を伝えられるようになった

・住む場所が変わった

・仕事で褒められることや頼られることがめちゃくちゃ増えた

・月給で収入が10万円以上増えた

・自分の苦手なところ、得意なところがわかるようになった

・できないことがあってもそれを自分の価値とは切り離して考えられるようになった

・存在しているだけで価値があると思えるようになった

・常に努力し続けなきゃいけないという強迫観念がなくなったため、プライベートの時間を楽しくすごせるようになった。その結果趣味が増え始めた

・未来に対する不安、人生に対して悲観的な思いに囚われることがほぼなくなった

・自分の中に不安が出てきた時、不安に飲み込まれずに「ああ、これは心の癖なんだな」と客観視できるようになった

・何かに対して思い悩むことがほとんどなくなった

・他人と違ってもいいと思えるようになった

・他人からの誘いを気楽に断れるようになった

・ずっと嫌だと思っていた仕事が楽しくなった

・「AIエンジニアになりたい」と思い続けていたが、別になれなくてもいいやと思えた

・結婚願望が出てきた

・ネガティブな感情が出てきた時、

 

とざっとこんな感じです。他にも自分が気づいていない部分があるはずですし、細かく変化を書き出したらキリがないのでざっと書き出してみました。

 

呟き続けるとどんなふうに変わっていくのか?

 

自分がどんなステップで変わっていったのかを整理しておきます。振り返ってみると、毎日の変化は本当に微々たるもので、「気づいたら変わっていた」という表現がしっくりくるように思います。

 

過去には本当に辛い時期もありました、人生に絶望している時期もありました。そんな時に可能な範囲で、毎日「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」と呟き続けてきました。最初は全然信じることができませんでした。口から発する言葉を信じることができなくて、この言葉を呟くことに対する怒りさえ出てくることもありました。

 

けれど、それでも何も考えず騙されたと思って呟き続けてきました。そうしていると、ふっと気が抜けた時に「あれ?俺ってすごいのかも」「あれ?俺って愛されてるのかも」そんなふうに思える瞬間がぽつ...............ぽつ............ ぽつ..........とやってくるのでした。

 

さらにつぶやいていると、どんどんどんどんそうした瞬間が増えていき、ぽつ....ぽつ....ぽつ、と出来事が起こってきます。出来事が起こるという表現も正しいでしょうし、そうした出来事に自分で気づいて素直に受け入れられるようになる、という表現も正しい気がします。

 

自己肯定感が低かったり、人生に悲観的だったりすると、例えば他人から何か褒められたり、良いことがあったとしても「いやいや、そんなことないですよ」とか「どうせすぐダメになるよ」とか、そうした後ろ向きな考え方を信じてしまうものです。本人が「自分はダメだと信じたいから信じている」だけなんです。

 

「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」を呟き続けていると、この「信じたいから信じている」というのがどんどん薄れてきて、次のようなプロセスで内面がどんどん変わっていったように思います。

 

俺はすごくない、価値がない(最初)

俺はすごくないと思う、価値がないと思う

俺はすごくない気がする、価値がない気がする

俺はすごくないと自分で思い込んでる、価値がないと自分で思い込んでる

俺はすごいのかもしれない、価値があるのかもしれない

俺はすごい気がする、価値がある気がする

俺はすごいと思う、価値があると思う

俺はすごい、価値がある(現在)

 

本当に徐々に徐々にこんなふうに内面が変わっていきました。日々の変化は小さすぎで、今振り返ってみてもこうしたプロセスの境目なんていうものは全くわかりません。でも、こんなふうに僕の内面が変わっていったのは事実です。

 

念の為補足しておくと、「すごいから価値がある」という意味ではありません。「俺はすごいんだ!ただいるだけで価値のある存在なんだ!」という意味です。僕の場合は最初あまりにも自己肯定感が最初低かった&「すごい」と言われたい欲求が強かったので、この言葉の組み合わせを選んでいただけです。

 

人によっては「俺はすごい」ではなくて「私はかわいい」とか「私は魅力的」「私は天才」とか、いろんな表現があると思います。

 

最後に

僕はこの取り組みを師匠から勧められて取り組み始めたのですが、やはりうまくいっている人(自分が尊敬する素敵な生き方をしている人)からのアドバイスを信じられなくてもとにかくやってみる、それが大事なんじゃないかなと思います。

 

一年前、ふて腐れて「そんなのやっても意味ないよ。言葉呟くだけで変わるんだったらみんな変わってるよ」そんなふうにやらずにいたら、今も僕はきっと度々鬱になって人生に絶望していたと思います。

 

もちろん現在も日々「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」の言葉を呟くことで、日々心のお稽古を続けています。また一年後はもっと豊かな未来がやってきて、もっと生きやすく、楽しくなっている気がします。

 

自分が体験してよかったことや、日々大事にしたいと思うことを、こうやって情報として発信していくことで、自分と同じような悩みを抱えている誰かの助けになればとっても嬉しいです。

 

P.S.

過去の実際の経過記録は下記からご覧いただけます(かなり更新日が空いてますが..汗)

sugoudehealer.hatenablog.com

他人の発言は自分が言わせている。自分が自分をどう思っているか知るチャンス

他人から言われた言葉に、イラっとする、ムカっとする、嫌だなって思う、そんな時は誰にでも普通にあることだと思います。ただ、そんな出来事を嫌だな、腹が立つな、で終わらすのはもったいないかもしれません。

 

そうした感情が動いた体験の中にこそ、自分がもっと豊かに生きられるチャンスが眠っています。感情が動くということは、自分の触れられたくない部分に触れられたとか、価値観に反することをされた、言われたということにつながっています。だからこそ、感情が動いた時には「あ、自分ってこんな価値観を持ってるんだ」「あ、自分てこんなこと思ってたんだ」と気づくチャンスです。

 

先日、仕事をしていてこんなことがありました。最近新しいプロジェクトに参画することになった僕は、案件理解のために時間を要していました。一つのプロジェクトを担当しているわけではないので、中々新規のプロジェクトの案件理解に時間を割けない日々が続いていたのでした。

 

プロジェクトへの参画が決まってしばらく時間が経過した時、「まだ案件を完全に理解できてない」と僕が言ったことに対して、プロジェクトメンバーの一人が、

 

流石に遅いでしょ」

 

と同僚がポロッと言い放ったのでした。毎日必死こいて仕事をして頑張っている身からすると「お前に何がわかるんじゃーーー!」と思ってしまい無性に腹が立ったのでした。

 

ただ少し時間をおいてこの感情が動いた出来事を振り返ってみると、「ああ、あれは僕が言わせたんだな」ということに気づいたんです。これは自分が心の中で「自分は仕事が遅い」とか「要領が悪い」と少しながらも罪悪感というか、後ろめたさを感じていたからこそ、そう信じていたからこそ、周りが僕に対して言ってくれたんだなーと。

 

自分の身の回りの人が言った発言で自分の感情が動くそんな内容は、自分が思っていることが他人の口を通して出てきているだけなんです。だからこの機会は、「ああ、自分はそんなふうに自分のことを思っていたんだな」と内面を振り返るきっかけになりました。

 

もしも自分が気にもしていなかったら、他人の発言に対してそもそも感情は動きません。そして罪悪感というか、そうした内面から無意識に誘発される言動も変わってくるので、相手からそういう発言は出てこないはずなのです。

 

自分が信じているからこそ、それを周りが言ってくる。この点を改めて気づかせてくれたこの体験を学びに、これからもっと自分らしく、もっと自分の人生を豊かにして生きていきたいと感じました。

自分の心が何を求めているのかを知ることはとても大事

昨日、ふと地元の温泉にいきたくなったので、一人ふらっと温泉に行ったら中学時代の同級生とまさかの再開(10年ぶり)。懐かしい思いが込み上げてきて素っ裸で話し続けていたところ、豊かに生きている人は、自分が何を求めているのかをちゃんと自覚できているものだよなあということを感じました。

 

というのは、話を聞いていると彼は物欲があまりないらしく、お金を使う機会があまりないとのこと。使ったものといえば、両親と一緒に暮らすための家の工賃1300万円や700万円のベンツ、あとは夜のお店ぐらいとのこと...笑

 

彼は、とにかく「人が喜ぶことにお金を使いたい」というのを繰り返し言っていて、甥っ子や姪っ子にお金を渡したい、だとか、地元の小学校に寄付をしたいだとか、あとは親しい友人3人にお金を渡したい(その中になんと僕も入ってました。。すごくいいやつだからという理由で...驚嘆)、と話していたんですよねー。会話の中で強く伝わってきたのは、彼は心から人の喜ぶことに惜しみなくお金を使いたいと思っているということ。

 

やっぱり、そういう考え方で生きている人のところには不思議なことにお金がどんどん入ってきますし、心も豊かになっていくものだと思います。そんな彼の話を聞いて、すごいなー、僕も自分の心が本当に喜ぶことにお金を使いたいな、自分の心が本当に喜ぶことをちゃんと自覚しておきたいな、と感じました。

 

高級車が欲しい、タワーマンションに住みたい、そんな気持ちは多くの人が持っているかもしれないですが、「それって本当に自分が求めてることなの?それって本当に自分にとっての幸せなの?」

 

そう自問自答するのはとても大切なことです。自分の心が本当に求めているものを自覚できていないと、私にはあれがない、これもない、と思ったり、他人と見比べて自分の状況を嘆いたり、手に入れてもいつまでも心が満たされない、そんな状況に陥ります。

 

だからこそ、自分が何を求めているのか、何に喜びを感じるのか、それを自覚することがとっても大事なんです。

 

そんなことを思い出させてくれた、気づかせてくれた、友達に感謝です。また地元の温泉にゆっくりと浸かりに行きたいと思います。こういう偶然のご縁があるのはとっても楽しいことです^^

心のざわざわを観察して、ざわざわする場面をチャンスに変える

今日は祖母の法事があり、親戚一同が実家にやってきます。親戚がやってくることに対して、なんだか心がざわつくというか、少し緊張するというか、若干億劫だなと思っている自分がいます。

 

感情が動くときは自分の内面を観察するチャンスなわけで、ふと「僕は何が嫌なんだろう、何を気にしているんだろう」と考えてみました。とりあえず正体を突き止めるために、気になっている点を書き出してみました。何事も頭の中で考えるだけではなくて、書き出して整理することがとても大切です。

 

<法事に参加するにあたって感じる不安>

・世代が離れている親戚の人たちと何を話していいのかわからない(30歳ぐらい離れてる)

・「結婚の方はどうなの?」みたいに聞かれた時にお茶を濁すのがめんどくさい(両親がいる前でそういう話はしたくない 笑)

・来てもらうんだから会話を楽しんでもらわないと悪い気がする&そこに僕は貢献できるのだろうかという不安。そんなふうに気を遣うことになる

・ニコニコしていなきゃいけない気がする

・「自分も楽しいです」みたいに振る舞わなければいけない気がする

 

と、ここまで書き出してみてなるほど。

「他人から、一緒にいても楽しくない、つまらない奴と思われるのが怖い」

と僕は思っているっぽいです。。

 

思い返してみれば、お世話になっている先輩から飲み会から誘われた時に僕がよく思うのは「何話せばいいんだろう」「何も情報提供できない」「一緒にいてつまらないやつって思われたらどうしよう」そんなことが多いです。今回の法事の件も、全く同じだなと、自分の心の中で引っかかっている部分が同じだなと明確になりました。

 

そんな不安を抱えている一方で、先輩との飲み会は毎回ととても楽しい時間になります。だから法事の今回の不安もこれは僕の杞憂なんだと思います。

 

自分の中に心の癖が残っていて、それが単に反応しているだけっぽいのです。

 

「他人から、一緒にいても楽しくない、つまらない奴と思われるのが怖い」

 

この価値観をどんな体験から身につけたものなのかはまだわからないのですが、こうした恐れが心の中にあることははっきりとわかりました(忘れていて再認識した、という表現の方が正しいかもしれません)。 

 

今日はいい機会なので、不用意に相手に楽しんでもらおうとしない、無理に盛り上げようとしない、面白くもないのにニコニコしない、親戚に気を遣わない、これを実践してみたいと思います。そうすることで、「なんだ、大丈夫なんだ」「素の自分でいても全然問題ないんだ」ということを実感する貴重な体験へと繋げていきたいです。

 

もういらなくなった心の癖を一つ一つ剥がしていって、もっと心軽やかに生きられるようになりたいものですね。

 

日常の嬉しいこと。周りの仲間たちにありがとう

久々にブログを書いてみたくなったので書いちゃうことにしました^^今まではなんだか着飾って書いてたように思うので、素の自分も出して気楽に書いていきます。

 

なぜ突然ブログを書きたくなったかというと、今日は本当にありがたいなって心から思えることがあって、ウルウルときたのでその体験と思いを残しておきたくなったんです。

 

それは、「自分一人では何もできなくて、それを支えてくれる仲間」「素敵な人と一緒に働くことができて本当に嬉しい」そんな気持ちが湧いてきたのでした。

 

具体的には、最近僕は、新しいプロジェクトに参加して、プロジェクトリーダー的な立ち位置を引き継いで欲しいと会社の上司から言われています。そんなことでその案件に関わっているのですが、いろんなシステムや外部の会社との連携、さらに新規事業の立ち上げという結構複雑で難易度の高い案件になるので、必要な知識が多く、途中から参加した僕はわからないことだらけでチンプンカンプン。

 

打ち合わせをしていても日本語を聞いているのに内容を理解できず、キャパを超えて、思考が止まってしまう、という体験を何度もしました。昨日も23時半まで仕事をしている始末。。。

 

そんな僕に対して、周りの仲間は質問に優しく応えてくれたり、困っていたことがあったら代わりに対応してくれたり、優しく声をかけてくれるんです。そうした仲間の対応がとっても嬉しいのと、あとは今までの僕は一人で「自分が頑張らなきゃ」「自分がしっかりしなきゃ」と一生懸命頑張ってきたのですが、一人では決して太刀打ちできない、そんな状況に追い込まれたのでした。

 

「ああ、自分一人では何もできないんだ...」

 

ふと、それを自分自身が自覚できた時、自然と周りに対する感謝の念が湧いてきたのでした。僕を助けてくれてありがとう、一緒に仕事をしてくれてありがとう、一緒に関わってくれてありがとう。そんな風に感じてジーンとなってきたのでした。

 

今までの僕は、他人と比べて優秀な仲間の姿を見るたびに、「ああ、自分は...」と落ち込んできたのですが、今は違います。

 

「こんな優秀な人と一緒に働けて幸せだなあ」「こんな機会をもらえて幸せだなあ」そんなふうに自然に感じられるように心が変化してきているのです。今もブログを書きながらなんだか涙が出てきそうな感じがしてジーンときています笑

 

少し前を振り返ると、仕事に対して不満ばかり言っていた僕だったのですが、今の内面の変化を考えると、あまりの変わりようにとてもびっくりしています。

 

話は変わりますが、今日は朝家の神棚に手を合わせた後、ふと、「目の前の出来事は全て最高のタイミングで起きている。最終的には絶対にうまくいくことが決まっている。だから安心して目の前の出来事を味わっていればいいんだ」とふと思いました。

 

本当にそうなんだろうなって思います。どれだけその感覚を保てるか、信じて生きることができるのか。信じていたら絶対にそうなります。

 

朝ランニングしているだけで、田舎の景色を見ているだけで、僕は本当に幸せな気分に包まれます。「ありがとう、ありがとう、ありがとう」って思いながらランニングしています。大阪を引っ越して2月から地元の岐阜県に帰ってきたのですが、本当によかったなと実感しています。

 

周りに対する感謝の気持ち、自分の人生は絶対に大丈夫だという安心感。そうした気持ちを大事に今日も明日もこれからもずっと生きて行こうと思います^^