今日は両親と朝食を食べているときに「土岐市に陶器を見に行こう」という話になり、久々に父親、母親、僕の3人で買い物に出かけました。僕は今日まで知りませんでしたが、岐阜県にある土岐市は陶器の生産量が日本一らしいです。
両親とともにどこかへご飯を食べに行くというのは珍しくはないのですが、「両親と共に買い物に行く」というのは僕にとって最後がいつだったかわからないくらい、珍しいことでした。
片道40-50分の ドライブで移動中は会話が弾み、土岐市の陶器が直販されている道の駅に到着するとお互いに自由に陶器を眺めて楽しみました。僕は気に入ったマグカップを、母親は花瓶を購入。父親は何も買いませんが久々に家族で出かけられたことに満足していたように見えました。
帰り道には偶然見つけた別の道の駅により、そこでは様々な野菜や特産品が売られていたので眺めてきました。最後は道中にある食料品スーパーで買い出しをし、帰宅後は皆で夕食を楽しみました。
こうした何気ない1日だったのですが、今日のように長い間家族と共に行動したのは本当に久しぶりで、僕にとってはとても貴重な時間でした。以前ならこうした純粋に楽しむだけの時間を過ごすことには罪悪感を感じていたのですが、今は気兼ねなく楽しめるようになっていました。自分の能力を高めないといけない、成長することに時間を使わないといけない、そんな強迫観念にかられることはもうほとんどありません。
「成長しなきゃいけない」「努力しなきゃいけない」、そんな思いに強くとらわれていた半年ほど前、職場のドイツ人の同僚から「家族に半年に1階しか会わないだって!?それで本当にいいの!?大丈夫じゃないよね!?」と驚きながら質問されたことがあったのですが、僕は言葉に詰まってしまいました。
父親はもう還暦を過ぎているほど両親は歳を重ねているので、この先もずっと元気でいるという保証はなく、一緒に過ごせる時間は限られていることを急にリアルに悟ってしまい、このままでは絶対後悔することになると直感したからでした。
そうした経験もあり、大事な家族ともっと多くの時間を過ごせるようにしたいと思い、最近では月に1度のペースで実家に戻ってきています。この取り組みから僕は非常に素晴らしいものを受け取っていることは間違いありません。
例えば今日のような家族と過ごす時間だけでなくて、自分が田舎暮らしを本当は求めていることを自覚できたことや、緑豊かな山々、綺麗な清流がある土地ですごすことによる幸福感が、都会暮らしのそれとは比べ物にならないことを自覚できたことなどがありました。また、緑豊かな景色に包まれて土地の匂いを感じ、生き物たちの音を聞きながら走る早朝のランニングは本当に幸せな瞬間です。
自分は何に幸福を感じるのか、何をしているときに気分が穏やかになるのか、それを自覚しておくのは本当に大事なことです。今まで「やらなきゃいけない、しなければいけない」そんな思考に基づいてずっと行動を続けてきた弊害で、自分の心の声を聞くのはなかなか難しいところが今もあります。
しかし心が求めている方へと進む生き方が、自分の直感を信じて進む生き方が、自分にとって幸せな人生を作ることは間違いありません。自分の心が求める方へとどんどん行動していきたいなと、改めて今日思いました。