昔子供の頃に、お母さんに褒めてもらってとっても嬉しかった、もしくは褒めてもらいたかった、○○して欲しかった、してもらえなくて寂しかった、そんな体験は誰にでもあるものです。そうした経験はその人の人生に大きな影響を与えており、「そういう一般論はあるけど思い当たる節が僕には無い」と思っていた自分も決して例外ではありませんでした。
今回は、子供時代に母親から言われた言葉が大人になった今も人生の行動や価値観、生き方に大きく影響を与えているという事実について紹介します。
何をやるにしても頑張りすぎたり努力してしまう癖
話は変わりますが、人それぞれにいろんな癖がありますよね。僕の場合は、何をするにしても一生懸命がんばったり、努力しないといてもたってもいられなくなるというものがあります。具体的には、他人から「すごい」と言われたり褒められたりしないと自分に価値がない、存在意義を見出せない、そんな風に思ってしまって不安で不安で仕方がなくなるのです。
そんな癖を持っていますから、昔はとても困った状況でした。というのは、遊ぶ時間や休む時間が何でも無駄に思えてしまっていたのです。一方で、他人から「すごい」と言われるために努力すること、学ぶこと、自己研鑽に努めること、そうしたことに時間を使わなければいけない、という強迫観念に長い間ずっと襲われてきました。
そんな状況でしたから、いつもよりたくさん眠ってしまったり、体調不良や気分がのらずに努力できなかったりと、そんな風に過ごしてしまった日には毎回「時間を無駄にしてしまった」という罪悪感に駆られ自分を責めてばかりでした。他人から「すごい」と言われる度に嬉しさや安堵感を抱き、自分の存在価値を認められる、逆に言えば「すごい」と言われなければ自分という人間に存在価値を感じられない、そんなおかしな状況でした。
こうした強迫観念は今ではかなり外れてきたのですが、まだ少し残っていて捨てきれずにいます。
お母さんから褒められるのが嬉しかった子供時代
さて、ここで一旦そんな僕の子供時代に話を移してみます。
僕は幼い頃にお母さんからの「すごいね」だったり「すごいやーん」という言葉がとっても嬉しかった記憶があります。記憶はおぼろげなのですが、野球の練習で僕がうまい具合にバットでボールを打つとお母さんが「すごいやーん」と褒めてくれた、テストで良い点をとるとお母さんが「すごい」と褒めてくれた、そんな嬉しい体験があったのです。
子どもは無意識に親から愛されようと、愛情をもらおうとするものです。そのため母親の言葉というのはものすごく強い力を持っています。いつしか僕は「すごい」と褒められることが母親からの愛情表現だと捉え、もっと褒めて欲しい、もっともっととそうした言葉を求めていたようでした(僕は今日までこのことに気づいていませんでした)。
その結果、この子供時代に母親から受け取った嬉しかった体験は僕の思考に大きな影響を与え、いつしか他人から「すごい」と褒められたい、褒められないと愛されているかどうかだったり、自分が存在していて良い存在なのか確認できない、という不安を招く原因になっていたのでした。
それが結果的に、常に休まず努力しなければいけない、頑張らなければいけない、そうした強迫観念を僕に芽生させ、僕が人生が生きづらいものだと感じる原因に発展していたようなのです。そうして大人になってからも「ひたすら仕事をし続ける」「遊ばず勉強やインプットの時間に当てる」そんな不自然な生き方をし続けてきたのでした。