僕の師匠は凄腕ヒーラー

自信を持てなかった僕に多大な変化をもたらした凄腕ヒーラーからの最高の教えと個人的な気づきを共有します

母の言動にイラッ。不要な価値観と思い込みを探ってみた

最近母の言動に対して、イラっとすることがいくつもありました。ムカっとしたり心がザワザワとした時というのは、自己の内面を知ることができる絶好の機会です。そこで今回も母のどんな言動に自分はイラっとして、なぜイラっとしたのか、どんな価値観や心の傷を持っているのかを内観してみました。

 

感情が動くということ

ここで改めて、私たちはどんな時に感情が動くのかを整理しておきます。

 

①自分ルールに反する行動を目の前にした時

まず、イラッとするなどして感情が動いたということは、自分の中にある「〜すべき」「〜しなきゃいけない」という自分ルールに反する何らかの行動を目の前の相手がしたということです。これは過去に「●●」という事をした結果、他人から責められたり、恥ずかしい思いをしたり、悲しい思いをして「●●をしてはいけない」「●●をしたら酷い目に遭う」と自分を守るために独自に自分が作り身につけた「自分ルール」から、外れた行為を相手がしたということです。

 

「自分ルール」に反する行動を目にすると、「私もあなたみたいに振る舞いたいのに!あなただけそんなことをしてずるい!許せない!」という感情が無意識に心の中で暴れだします。

 

②「自分にはない」と思っていて、もらえなかった、奪われたと感じた時

 

次に、私たちの感情が動くとき「自分にはそれが無い」と思っています。例えば、「自分にはお金がない」「自分には時間がない」「自分には能力がない」「自分には魅力がない」「自分には愛情がない」「自分には存在価値がない」などなど。

 

そんなふうに心の底で「私にはない、ない」と思っているからこそ、経済的に豊かな人を見て妬む気持ちが出てきたり、待たされてイラッとしたり、能力の高い人を妬んだり、褒められる人を見て卑屈になったり、期待していたように認められたり愛情表現をもらえなくて悲しんだり、イラッとするわけです。

 

これは子ども時代の体験で、親からもらえなかったこと、周りからもらえなかったこと、をきっかけに、「ああ、自分にはないんだ」と思い込むようになります。

例えば、

・褒めて欲しかったのに褒めてもらえなかった→自分には魅力がない

・精一杯頑張って認めてもらいたかったのに認めてもらえなかった→自分には能力がない

などなど。そんなふうに思い込んでしまうわけです。

 

 

ここまで整理してきたように、感情が動いた場面というのは、「自分がどんな自分ルールを持っているのか」「自分が何を "ない" と思っているのか」に気づく大きなチャンスになります。

 

「自分ルール」や「"ない"という思い込み」は、僕らが日常で感じる生きづらさに直結していて、だからこそ日々感情が動いた時に内観することで感情が動いた原因を探り、いらない価値観や思い込みを手放す作業が心穏やかに生きるためにはとても重要になってきます。

 

イラっとした母の言動

 

ここからは、具体的に自分が最近イラッとした母の行動を思いつくだけ書き出してみます。他人から見たら、「え!?そんなこといちいち気にしてるの!?」と笑われるかもしれません 笑

 

<イラッとした母の言動>

・毎朝やりたくてやっているランニングに出かけようとしていたら「今日は暑いからランニング行かないよね?」と母が言ってきた

 

・夏の快晴のお昼時に「山登りに行ってくるわ」と伝えると「暑いからやめた方がいい」と母が言ってきた

 

・母がノックも無しにいきなり部屋に入ってきてゴミ箱のゴミを勝手に回収していった

 

・お金を稼ぐのがいかに大変なことであり、必死に頑張らずお金をもらうということがどれだけ非現実的であるかを感情を乗せて母が語ってきた

 

・死んだ祖母(配偶者の父)にどれだけ酷い言動を受けて我慢してきたかを感情を乗せて、感情に飲み込まれた状態で母が語ってきた

 

・「祖母に対するイライラはどう解決すればいいの?」という母の質問に対して、アドバイスをしたところ、母が「でも」だとか「それはできない」とか、できない理由を並べてきた

 

・公務員が退職金をたくさんもらう(いくらもらうかは知らない)ことに対して、母が妬みの感情をあらわにして、嫌だ、腹が立つと語り始めた

 

・テレビを見たり父との会話中に、母が「お金があるからできるんや」とか「お金持ちは違う」とか、お金に余裕のある人を妬みひがむ発言をした

 

と、ざっとこんな感じになりました。結構たくさんあったんだな...笑

 

母の言動に対してどう勝手に感じて反応した?反応したのはどんな価値観を持っている?何を "ない" と思い込んでいる?

 

次は書き出したこれらの出来事に対して、僕がどのように感じたのか、それはどんな価値観を持っているから反応したのか?何を"ない"と思っているから反応したのか?を整理してみます。

 

■やりたいからやろうとしていることに対して「やめた方がいい」という発言は、子どもの可能性を奪う言葉に勝手に感じた。親が子どもをコントロールしようとしている発言だと勝手に感じた。

→「他人に意見を押し付けるべきではない、コントロールしようとすべきではない」という価値観がある

 

■自分がしたアドバイス聞く耳を持たない母の姿を見て、他人の意見はまず受け止めるべきだと腹が立った、自分の考えを軽視されている、自分のことを大事にされてないように勝手に感じて悲しくなった。

→「人の意見にはちゃんと耳を傾けて聞くべきだ、まず受け止めるべきだ」という価値観

→「自分は大事にされる存在でない」という思い込み

 

■「お金は労働の対価だ」「お金を稼ぐのは大変で苦しいことだ」「お金持ちを妬む姿」という母の考えや姿勢が、自分の心の奥にあるものと無意識に重なったと共に「自分にはお金が "ない" 」という思い込みが揺さぶられてイラっとしてしまった。

→「お金は労働の対価だ、お金を稼ぐのは大変で苦しいことだ」という価値観

「自分にはお金が "ない" 」という思い込み

 

■感情に飲み込まれて自分を見失って他人にひたすら愚痴を語る母の姿がとても不快に思えて腹立たしく感じた

→「感情に飲み込まれて自分を見失い愚痴を語ってはいけない」という価値観

 

これらの価値観はどんな原体験から身につけたものなのか?

 

さて、次はここまで書き出してきた、価値観や思い込みを自分がどこで拾ってきたものなのかを整理していきたいと思います。

 

「他人に意見を押し付けるべきではない、コントロールしようとすべきではない」という価値観

これは、小・中学とやっていた野球から来ているように思います。うまくいかない素振りの仕方を大人から教えられ(実際間違った素振り方法でした)、明らかにおかしいと思いながらもその指示に従って嫌嫌そのやり方で素振りをしていた。

 

当時は本当に苦しかった。他人から何かを指図されたり、意見を押し付けられたり、コントロールされそうになる度に、当時の苦しかった体験が反応して感情が動いていると思われます。

 

「人の意見にはちゃんと耳を傾けて聞くべきだ、まず受け止めるべきだ」という価値観

この価値観はどこから拾ってきたものなのかはまだ原因らしきものは思い出せないのですが、「嫌われたくない」という思いが根っこにあるのは間違いありません。 小学生の頃、ディベートの授業があって、相手の意見を否定したらそれで嫌な顔をされた、または険悪な雰囲気になった、みたいなことがあったようななかったような気がします。ひょっとしたらこうしたことが原体験になっているかもしれません。

 

「自分は大事にされる存在でない」という思い込み

この思い込みは、小学生の頃のいろんな体験から来ているようです。いつもニコニコしていて気も強い方ではなかった僕は、友達から揶揄われたり、いじめに近い扱いをされていました。中学では周りから馬鹿にされたり、懸命にやった努力が実らなくてまた友達に馬鹿にされて、「自分は無能で存在価値がない人間だ」と思い込みました。

 

そうした体験から、こんな卑屈な思い込みを拾ってしまったんだと思います。

 

「お金は労働の対価だ、お金を稼ぐのは大変で苦しいことだ」という価値観

この価値観は、明らかに母親から引き継いだものです。母親は昔から「お金は簡単には手に入らないよ」「お金を稼ぐのは大変なことだよ」「働き始めたらわかるよ」と僕に言ってきました。

 

そんな母の元で育ったのですから、当然僕にもその価値観が入ってきます。さらに新卒入社した会社ではひたすら「お前は今日いくら稼いだ?」「自分が稼いだ分しかもらえないのは当然」と叩き込まれてきました。今はわかりますが、この価値観は豊かさとはかけ離れた考え方です。

 

 「自分にはお金が "ない" 」という思い込み

 この思い込みはどこからきたのかわかりませんが、この思い込みがある限り僕は経済的に豊かになれません。なぜなら「自分にはお金がない」と内側で思っているのですから、それがそのまま現実に投影されて「お金がない」という現実がやってきます。

 

「これも払えた」「あれも買えた」「こんなに人のためにお金を使えた」お金を使うたびにそんな風に意識を向け続けて「自分にはお金があるんだ」と内面を変えられるように、日々過ごしていきたいと思います。

 

「感情に飲み込まれて自分を見失って愚痴を語ってはいけない」という価値観

この価値観の原体験もはっきりとはわからないのですが、わかることは、小学六年生の時点では持っていた価値観だということです。というのは、当時僕は熱心に囲碁の勉強をしていたのですが、勉強をしている度に、母親が祖母の問題のことで感情に飲み込まれひたすら父に愚痴を語る声が頻繁に聞こえてきて、子供ながらに「絶対こんな大人にはならない」と憤りを感じていました。

 

「他人に対する怒りに飲み込まれる=大切な自分の時間を、嫌いな人に奪われている」と当時から考えていたので、大人でそうした状態になっていることが情けない、という感情を持っていたのでした。

 

 

と、論点が定まらない感じになって長くなってしまったのですが、こうした価値観や思い込みは幼少期の様々な体験から来ているものであり、僕が生まれた時から持っているものでは決してなく、後から身につけたもの、つまり本来の自分のものではないということがはっきりしました。

 

今後の取り組みとまとめ

 

いらない価値観や思い込みはどんどん手放していけば良いです。僕が現時点で本当にいらないなと心から思えるのは「自分を卑下する思い込み」と「お金が”ない”という思い込み」です。これらの思い込みを手放していくためには、次の行動が効果的なのかなと、ここまで書いてきながら考えました。

 

・お金を使うたびに「これも払えた」「あれも買えた」「こんなに人のためにお金を使えた」と意識しながらお金を使う。出し惜しみせず、自分が本当に欲しいものを買うことによって、「なんだ、自分にはお金があるんだ」という証拠集めをしていく。その先に内面が「お金が”ない”」から「お金が"ある"」へと変わる。

 

・仕事を頑張らず、サボったり、好きな仕事だけしたり、人に頼って迷惑かけて助けてもらうことで「仕事は労働の対価じゃないんだ」「苦しい思いをしなくてもお金をもらっていいんだ」という価値観へと変えていく

 

・引き続き毎日の習慣である「いるだけで価値がある」「自分は素晴らしい存在だ」とぶつぶつ呟き続ける行為を実践することで、自分が認める自分の存在価値を高める。そうすることで「自分は大事にされる存在だ」という内面を構築していく。

 

これらの行動を実践することにより、もっと心穏やかで豊かな生活を手に入れていきたいです。