僕の師匠は凄腕ヒーラー

自信を持てなかった僕に多大な変化をもたらした凄腕ヒーラーからの最高の教えと個人的な気づきを共有します

自分のタブーを犯してみた。めちゃ怖でしたが一皮剥けました 続編

今日は出勤日でしたが、僕の挑戦ということで、出勤せずに自宅でリモートワークをしました。昨日のこちらの話の続きです。

sugoudehealer.hatenablog.com

 

「ルールを破る」「ずるいことをする」という自分が怖くて怖くて仕方がなかったことを挑戦してみての感想は、「案外大丈夫だった、でも今も少し怖い」そんな気持ちです。やはり心の隅では「他人から責められるんじゃないか」「自分にばちが当たるんじゃないか」と思ってしまうところがあります。

 

そんな怖いと思って不安になっていた今日と昨日にかぎって、困ったり嫌だなあと思ったり、ビクビクしてしまうことがありました。例えば、iPhoneが床に落ちて故障してしまったり、テレビ会議している向こうから同僚が「あーズル休みだー」と冗談まじりで言ってきた言葉が本気で責められているように感じて怖くなったり、一生懸命提案していたお客様から「前回のプレゼン内容ではご依頼するのが難しいから提案活動を中止にしてください」という厳しい連絡が入ったり、そんな出来事が起こりました。

 

そんな出来事に対して「あれ?ひょっとして自分がルールを破ったから?自宅でリモートワークしてるからそれが原因?」みたいにどんどん出来事を解釈して悪い方へと考えてしまうようでした。

 

しかし今振り返ってみると、多分これは自分の内面がそんな風に勝手にネガティブに捕らえさせようとしているだけなのだと思います。自分が許せていないこと、マルにできていないことに対して挑戦してみたわけですから、潜在意識としては「ほら、やっぱり守らなきゃダメなんだよ」「ほら、ルールを破ったからそんな目にあうんだよ」と、自分がこれまで大事にしてきたルールを正当化しようと無意識に気持ちが揺れてしまうんだと思います。

 

自分がみたい現実をみる、潜在意識で思っていることが現実に反映されるとはまさにこのことですね。

 

iPhoneが壊れたのは単なる偶然、または、「大事なものが壊れる時は新しいステージに上がる時」なんていう見方もあります。お客様から提案中止の連絡がきたのは、提案したのが連休に入る直前の夕方だったから今日その連絡がくるのは適切なタイミング。同僚に僕が「あーズル休みだー」と言われるのは、自分がいじられキャラだから冷静に考えればいつもとなんら変わりないジョークなんだ。

 

こんな風に文字にしてみて改めて実感したのですが、人は解釈を変えるだけで全く見える世界が変わってきますね。もう完全に別世界です。自分の気分が落ちているときや、怖いことに挑戦した時、そんな場合には不安に襲われて弱気に考えてしまいがちだということを自覚しておくことで、自分の気持ち、感情をニュートラルな状態に持ってこれるようにしたいです。

自分のタブーを犯してみた。めちゃ怖でしたが一皮剥けました

今日は自分の中に抱えているタブーを犯してみるという恐ろしいことをやってみました。そのタブーとは、簡単にいうと「会社の決まりを破る」ということです。

 

背景を紹介すると、僕の勤務先では毎週水曜日は社員が出勤する曜日となっていて、今日は火曜日でした。現在僕は連休と言うことで、岐阜県の緑に囲まれた実家に帰ってきています。両親がいて、緑に囲まれた環境に戻ってきて、やはり自分の心が田舎で暮らすことを求めているということ実感しています。

 

本当ならば明日は水曜日なので大阪のオフィスに出勤する必要があるのですが、自分としては親と一緒にすごす時間や田舎にいる時間を大切にしたいので、今回はもっともらしい理由をつけて「明日は自宅でリモートワークをさせてください」と、 勇気を振り絞って伝えることにしてみたのでした。

 

これを実現するには、社員全員が見れる板にその旨のメッセージを送るだけで済むのですが、僕としては怖くて怖くて何度もこの行為の実行を躊躇しました。というのは「決まりを破って本当に大丈夫なのだろうか?」「もしも自分の本心が知られてしまったらどうなる?」「ズルをしたということで、他人から厳しく責められるんじゃないか?仲間外れにされるんじゃないか?」そんな恐怖から、やめたほうがいいんじゃないかと何度も迷いました。

 

けれども、「恐れが伴うやってはいけない」や「やったらまずい」は絶対にやったほうが良いことであって、やれば世界が広がるので、今回は良い機会だと考えて思い切ってやってみることにしたのでした。

 

次のメッセージは実際に僕が会社の板に送った内容です。

 

親が突発性難聴を起こし心配なので、様子見のために明日23日(水)はリモートワーク(実家から)させてください。よろしくお願いします。

 

※ちなみに、少し前に親は突発性難聴を起こしたのですが、幸いなことに今は全快したとのことでした(今日確認しました)。

 

僕は本来、「人は正しく生きなければならない」「会社のルールは守らなければならない」「嘘をついてはいけない」という価値観を持っています。一方で、上記のメッセージは「自分がズルいことをする」「会社の決まりを破る」という二つのタブーを破ることになり、そりゃあもう、怖くて怖くて送る前に何度も何度も躊躇しました(僕なりの解釈ですが、親を心配する気持ちはあるので一応嘘はついていないことにしています汗)。

 

そんな恐怖があったのですが、「家族ともっと長くすごしたい」という気持ちと「豊かさを手に入れるために怖いことをやってみよう」という気持ちが勝り、「嫌われてもいい」「怒られてもいい」「責められてもいい」「そうなった時はそうなった時だ、どうせ愛されてるから大丈夫」そんな風に思って思い切って実行に移したのでした。

 

リモートワークをするのは明日なので、まだ職場の人から何かを言われたりしたわけではないのですが、「本当に大丈夫だろうか」と今でも少しドキドキしています。明日働いてみてどうだったかについては、またブログで書きたいと思います。

 

もしこれで大丈夫だったら、一皮剥ける気がしますし、もし大丈夫じゃなくても一皮剥けると思います。どっちにしろタブーを犯すことができたということは、もう一皮剥けたんだと思いますwww 僕の人生をがんじがらめにしている「しなきゃいけない」「してはいけない」そんな価値観をどんどん手放すことでもっと人生を生きやすくしていきたいです。

 

P.S.

今回の内容は自分のズルイ内面が露出されたので書くのも一瞬躊躇したのですが、リアルで良いのではないかと思い、暴露してみました

思い込みを外して自分らしく生きる

今日は姉とその子どもたちと共に近くの小学校に行き、ボールで遊んできました。彼らを見ていると心赴くままにやりたいことをしていることが伝わってきます。そこには一切「周りからどう見られるか」とか、「うまくできるかな」「失敗したら恥ずかしい」なんていう考えはありません。

 

バットにボールが当たらなくてもお構いなしに何度も思いっきりバットを振る、蹴ったボールがあっちへ、こっちへ飛んでいってもお構いなしに思いっきりボールを蹴る、そんな様子を見ていて僕まで楽しくなりました。彼らの行動を見ていると、やはり僕たちは周りから言われた言葉に影響を受けて、それを信じ込んで影響を受けていることを思わずにはいられませんでした。

 

失敗したときに周りから笑われたり、馬鹿にされたり、叱られたり、そんな風に周りから何かを言われて恥ずかしかったり悔しい思いをしたことがある人は多いと思います。そうした周りから言われた言葉を信じて僕たちはどんどん自信をなくしていきました。昔誰かに言われた言葉をずっと信じていて、今でもそれは変わらずずっと信じているわけです。それは僕たちの人生に大きく影響を与えています。

 

「私は何をやってもだめだ」「私は頭が悪い」「努力しないといけない」例えばそんな風に思い込んでいると、「あなたは素晴らしい」「あなたは頭がいい」「努力しなくていい」例えそんな風に言われてもその言葉は一切耳に入ってきません。人は自分の信じたいものだけを信じているからです。実際昔の僕がそうでした。

 

本人がどれだけ現実を「苦しい」、「辛い」と言っていても、その人は昔「誰かに言われた言葉」や褒められなかったり認められなくて悲しくて「勝手にそうだと思いこんだこと」を信じているわけで、信じることで何か得をしていることがあります。そのため、嫌だと思っている現実を変えるには、自分の内面を観察することが非常に重要です。

 

自分が何を信じているのか、それを信じることで自分はどんな得をしているのか、それに気づくためには、自分がイラッとしたり、許せないと思う他人の行動を分析してみることが有効です。自分がどんな得をしているかを気づくのは中々難しいので、いろんなケースを知るのが良いかもしれません。

 

例えばダメ男としか付き合えないと言っている人はダメ男の世話をやくことで自分の存在価値を実感できる、自分は酷い扱いをされて当然だと思っている人には酷い現実を引き寄せて「ほらね、やっぱりそうでしょ」と自分の思い込みを正当化できる、、などなど。各々が信じたいものを信じて生きています。

 

こんな風に書いている僕の中にも色々と卑屈な内面があります。「毎日仕事が嫌だ」とか「やらなきゃいけない」とか、様々な言い訳をつけては毎日ブーブー心の中で言っているのですが、結局は毎日仕事をすることで得していることが必ずあるはずです 汗。それは周りに貢献できて自分の価値を実感できるとか、毎月決まった日に決まった給料が入ってくるなどなど、いくらでも出せる気がします 汗

 

「もっと給料をあげたい」とか「もっと楽をしたい」「働きたくない」そんな風に毎日言っちゃってしまっている自分ですが、もっと自分の内面を見つめることで、自分がどんな思い込み、価値観を持っているのかを自覚していきたいです。自分の思い込みを自覚しそれらを外すことで、今よりさらに豊かな現実へとつながっていくことは間違いありません。

 

今日は子どもたちがそんなことを教えてくれた日になりました。

子どもたちとカエル採りに出かけて気づいた大事なこと

現在4連休中ということで実家に姉の家族がやってきています。僕もちょうど実家にいるので、今日は姉の子ども二人と外に出かけてきました。きっかけは5才の甥っ子と3才姪っ子が「カエルを捕まえたい」と言ったことで、そのガイドとして僕がこの辺だったらいるんじゃないか、と二人を案内、兼、見守りすることになりました。

 

約2時間、田んぼや用水路といった地元の水のあるところを案内しながら回っていきました。

 

心の声に従って生きる

 

子どもたちを見ていて思ったのは、彼らはどんなことも楽しんですごしている、ということで改めて子どもはすごいなあと感心しました。道端の草、空の雲、トンボ、蝶々、カエル、カニ、、、、目に入るどんなものにも興味を示して楽しんでいるのが伝わってきました。

 

僕も昔はそんな風に楽しく毎日をすごしていたことは間違い無いのですが、いつから今みたいに「やりたいことがわからない」だとか「何をしてても楽しくない」そんな風に思うようになったのかと考えてみると「頭を使い始めてから」だと思いました。

 

「しなきゃいけない」「これをやった方が得する」そんな風に頭で考えて行動ばかりをするようになってから、純粋に彼らのように楽しめなくなった気がするのです。今の社会はロジカルに考えて行動することを良しとする風潮がありますから、かなりの多くの人がひょっとしたら僕と同じような状況に陥っているのかもしれません。

 

いつもお世話になっている精神的にも経済的にも豊かな師匠は「豊かに生きるには頭じゃなくて心の声を聞くことが大事」そう言っています。子どもたちの生き方がまさにそれで、今日は彼らが僕にそれを示してくれたんだと思います。何を食べたい?今何をしたい?まだまだ中々難しいのですが、子どもたちのように心の声に従って生きられるように日々自分の直感を大事にしたいと思います。

 

視点を変えると違う世界が見える

 

 

子どもたちと一緒にすごして思ったのは、視点を変えるだけで違う世界が見えるということでした。普段は絶対に立ち止まらない用水路の中をじっくり眺めてみたり、田んぼを眺めてみると、いつもは全く気づかなかったものが見えたのでした。

 

用水路の中に見たこともない生き物がいたこと、大きな毛虫、予想以上にカニがたくさんいる、てんとう虫など、いろんな生き物に出会いました。ランニングをしたり、自転車や自動車で移動しているだけでは僕たちは決して気づかなくて、人間が中心の社会だと当然ながら思ってしまうのですが、今日は本当にたくさんの生き物が身の回りにいるんだなあということを実感してほっこりしました。

 

地球で一緒に生きている仲間がたくさんいるんだなあと改めてそれを感じてなんだか温かい嬉しい気持ちになりました。こんな世界に生きていられることに感謝していきたいです。

 

内面の変化

 

今日は2時間子どもたちと一緒にいたのですが、そのときに自分の内面の変化を実感することができました。これまでの僕は「努力しなきゃいけない」「成長しなきゃいけない」常にそうした強迫観念に襲われていたので、昔甥っ子の面倒を見ていたときには「勉強しなきゃいけないなあ」とか「もうこんなに時間経っちゃったよ」と自分の使う時間のことばかりを気にしていて心が休まりませんでした。

 

しかし今日の場合は、子どもたちと一緒にすごしながら周りを見渡したり生き物を見たりして、地元は綺麗だなあ、とかたくさんの生き物がいるなあ、などと心穏やかな状態ですごすことができていたのでした。自分が今この状態になれているのも毎日「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」と呟き続けているからだというのは間違いありません。

 

子どもたちとそんな風に時間をすごせるのは素晴らしいことだと思います。改めて今日の体験を通じて自分の内面が以前とはかなり変わってきていることを実感しました。

 

さて、この記事では色々と書いてきたのですが、まとめると、「心の声に従って生きること」「たくさんの生き物と一緒に僕たちは生きているということ」「内面を変える言葉を呟き続けていくこと」この3つを大切にこれからもすごしていきたいと思った1日でした。

 

P.S.

カエルは捕まえず眺めるだけでみんな満足できました^^

頑張らない努力しないことに対する罪悪感。心の癖を発見

今日から4連休が始まりました。僕はゆっくり休もうと思い、緑に囲まれた岐阜県の実家に帰ってきています。今日は土曜日でしたが、自営業(木工業)を営んでいる実家では、父さんは今日も朝8時から夜の9時半まで働いていました。

 

そのため土曜日とはいえ、自分の部屋にいると外から父さんが使っている機械の「ヴー」とか「ヴィーン」という音が聞こえてきます。僕は幼少期からこの音を聞いて育ったので、この音を聞くと「ああ、実家に帰ってきたなあ〜」とほっこりするのですが、一方で今日はそんな機械の音を聞いて、「父さんが一生懸命仕事を頑張ってるから僕も仕事をしなきゃいけないんじゃないか」と、実家に帰ってきて羽を休めている自分に少し罪悪感を感じてしまいました。

 

僕の勤務先は土日が休みなので、当然のことながら働かなくても良いですし、働かなくても誰からも何も言われません。にも関わらず僕が今日、そんな風に後ろめたさのようなものを感じてしまったのは、僕の内面に「頑張らないと自分に価値がない」とか「頑張らないとお金をもらってはいけない」なんていう、価値観があるからです。

 

この価値観を手放さない限り、いつまでたっても頑張らないと自分の価値を認められませんし、豊かさを手に入れられない、そんな生き方になることは間違いありません。自分の中に「頑張らなきゃいけない」「周りに貢献しないといけない」という価値観が存在していることはもともと知っていたのですが、最近ではこれらがかなり薄れてきたと自分では思い混んでいました。しかし今日、まだまだ自分の中にこの価値観があるということを痛感させられました。

 

一方で、こうした内面を変えるために「俺はすごい」「どうせ愛されてるし」「いるだけで価値がある」「父さんを超えていい」そう毎日呟き続けています。過去にブログで書いてきたようにこの取り組みを通じてたくさんの効果があったのですが、頑張ることなく、ただいるだけで豊かさを手に入れられる生き方を実現するために、引続きこれらの言葉を呟き続けていく必要があると気づくことができました。

 

次休日に帰ってきたときには、工場の機械の音を聞いても、なんとも思わない、そんな自分になっていたいと思います。

打ち合わせでテンパる理由は相手の表情から色々妄想してたこと

今日は自分にとっての1つの発見があったのでその話を紹介したいと思います。普段打ち合わせの最中には、テンパってしまって頭が真っ白になることが多いのですが、今日の打ち合わせではそうならなかったのでした。冷静にお客様からの発言を受け止め、考えて返事をすることができました。

 

今日はWebミーティングをしていて、普段と何が違うかをミーティング中に考えて気付いたのですが、お客様の顔を見ずに話す、 この点が普段のミーティングと違うことだと気づきました。念のため補足をしておくと、Webミーティングでは画面を切り替えられるのでお客様の顔を見ずに対応することが可能です。今日はお客様の顔を見るのではなくて、打ち合わせ用の資料を眺めることに集中して打ち合わせに臨んでいました。

 

普段自分が打ち合わせ中に感じていることを思い起こしてみると、相手の目を見なきゃとか、相手の表情に合わせてリアクションしなきゃとか、相手は今僕のことをこんな風に思っているんじゃないだろうかとか、相手の表情からそうしたいろいろなことを考えてしまっていました。そんなことを打ち合わせ中に考えているからこそ、相手の話がなかなか頭に入って来ずに、結果的に理解できずに 打ち合わせに対する苦手意識が醸成されていったんだと思います。

 

今日気づいた事は個人的には非常に大きなことだと思います。なぜなら今まで自分が苦手だと思っていたことを解決できる大きな原因がわかったと思うからです。余分なことを考えなければ、変に緊張することなく、打ち合わせを円滑に進めることができそうです。相手の顔見たときに「余分なこと思わない、考えない」これを徹底していきたいです。

叱られてもいい、ガッカリされてもいい。それを思えたら最強

人それぞれに人生の目的は違うと思いますが、僕はいろんな体験を通じて楽しく幸せに生きることが人生の目的だと思います。

 

僕にとって仕事はお金を稼ぐための手段であり、決して目的ではありません。もちろん仕事が面白くて楽しいならばどんどん好きなだけ仕事をして良いと思うのですが、そうではなくて毎日我慢しているようなら、その我慢の原因を解消するか、できるだけ仕事をする時間を少なくしたいものです。

 

しかし多くの人が経験していると思いますが、仕事で責任を背負うとどうしてもやり遂げようと苦しくても頑張ってしまうものです。今日は夜9時半過ぎまで残業をしていて、「ああ頑張っちゃってるなあ俺。頑張ってることが目的化しちゃってない?不安で頑張ってるなこれ...」そんな風に思いました。

 

なんで頑張っているのかという理由は明確で、「上司に叱られたくないから」「打ち合わせでお客さんからがっかりされるのが嫌だから」「失注するのが怖いから」そんな理由です。これらは怖いのですが、冷静に考えてみれば、仕事を頑張って心身ともに疲弊して人生がしんどくなることに比べれば、そんな風に他人から怒られるなんてことはどうってことないことのように思います。

 

仕事で追い込まれると、あたかもそれが世界の全てのように、感じてしまって視野が狭まり、冷静さを欠き、息苦しさを伴います。そうなると状況はどんどんと悪い方向へと進んでいくケースが多いです。

 

だからこそ、「怒られてもいいや」「ガッカリされてもいいや」そんな風に思える人はすごく強いしすごく人生が楽しくなるんだと思います。その分、頑張っている人からはその人は許せないように写ってしまうので、中傷されたり攻められたりはすると思います。でも、そうしたことをされてもいいと覚悟を決めたら、一気に人生が楽になるように思います。

 

文章に書いているだけでもそれは大変だよなあ、難しいなあと思ってしまうのですが、なんとかそのレベルにまで到達したいと思う今日この頃です。

勝手に頑張り勝手に期待し勝手に憤慨。頑張るのはあかん

今日は社内のミーティングで、上司から「もっとしっかりやってほしい」と指摘を受ける場面がありました。その指摘の内容を聞いていると、上司の明らかな非を感じたのと、自分は普段から我慢してしんどいながらも一生懸命しっかりやっていたこともあり、あまりにも腹が立って自分が言いたいことをその場で主張しました。

 

そしたら上司は、「自分に問題があった」とは言ったものの、それでも僕は腹が立ったのでしばらくmtg中はムスッとした態度でmtgにのぞむことになりました。思いを主張したときに自分の声が少し震えていたので今思うと恥ずかしいのですが、何はともあれ自分の思ったことを伝えることができてよかったと思います。

 

以前の僕だったら、黙って我慢して上司に言われたことに対して何も言えずにただ黙っていた気がします。けれど今日は、自分だけが忙しくて我慢して仕事をしているのに、他人は楽をしているように思えてしまって、その上自分が責めたれられたような気がしてならなくて無性に腹が立ったのでした。 

 

今回の話を師匠に話したところ、師匠は次のように教えてくれました。

 

師匠:自分のことをを大事にして、言えたのはすごいことだよ。自分を大事にして思ったことを相手に伝えるという経験だから良いこと。ただ、怒りが入っていて拗ねてるから自分の本心を相手に伝えられたらもっといいと思うよ。

 

師匠:怒りは本音じゃない。本音っていうのは、あなたが思っている「クソ忙しいのに僕がやらされてしんどい」「仕事が少ないみんなが楽そうに見える」「こんなに我慢して毎日頑張ってるのに誰も認めてくれてない、褒めてくれない、辛い、それが悲しい」そういう気持ちが本音。

 

師匠:本音を伝えない限り、相手に本心は伝わらないからね。もちろん思ったことを言えたことはすごいことだし、一時的には楽になるけど相手には伝わらない。本音は相手の心に響くからね。相手に本音を伝えることができたらまた状況が変わるよ。多分今回の件は、きっと周りの人には「なんで怒ってるの?忙しくてイライラしてるのかな?」ぐらいにしか残念ながら思われてないと思う。

 

師匠:あと、頑張らなくていいよ。あなたが周りからの期待に応えたくて頑張ったから、「なんで頑張ったのに労いの言葉も感謝の言葉もないの!?ありえない!!!」って勝手にあなたが自分で他人に期待をしてるんだよ。それで期待を裏切られたから怒っている。

 

師匠:でもね、周りのみんなからしたら、そんな風に勝手に期待されてるなんて知らないしわからない。だからみんなからしたら、「なんで怒ってるの!?」そんな風になっちゃうんだよ。だからあなたが勝手に期待して勝手に拗ねて、勝手に怒ってるっていう、一人コントをやってるだけなんだよ。

 

師匠:だから無理しなくていいし頑張らなくていい。やりたいことはやらなくていいし断ったらいいんだよ。それができたらどんどん人生が豊かになっていくからね。

 

と、こんな風にアドバイスをいただきました。師匠に言われて気付いたのですが、前述したように僕は勝手に期待をして勝手に拗ねてふて腐れていたのでした。相手からしたら「誰も頼んでないのに勝手にやってなんで怒ってるの!?怒られるこっちの身にもなってよ!!」といい迷惑です。

 

文字にしたらこんな風に客観視できるのですが、感情に飲み込まれるとこうはいきません。今日の失敗を教訓に、頑張らない、周りに期待しない、このポイントの磨きに拍車をかけていきたいです。そして本音を伝える、これはやっぱり怖いんですけど、豊かさを掴むためになんとかチャレンジしていきたいと思います。(できるだけ小さなハードルから)。

自分の中に溜まっていく怒りとストレスの原因を探る

日々仕事をしている中で我慢をしている人は多いかもしれません。我慢はどんどん溜まって自分の中のストレスになっていきます。最近は自分にとってストレスに感じることが非常に増えてきているので、今日は自分にとって何がストレスになっているのかを書き出してみました。

 

・自分たちの事業領域とは外の分野の知識が必要で、どう対応して良いか進め方がわからない状態に陥ったときそれがストレスになる

・送られてきたメッセージの意図が非常にわかりづらく、何度も細かく丁寧に読み返さないと意味がわからない場合それがストレスになってしまう

・仕事の中で、事実を捉えずに解釈を混ぜてコミュニケーションをとる相手と接するとイライラしてしまう

・提案活動をしたいと思っていないお客様に対して提案活動をしなければならないのが自分にとって非常に億劫になっている

・できないから納期をずらしてくださいと連絡を入れるのが億劫

 

書き出した内容を見返してみると、これらは大きく次の3つに分類できるように思いました。それは、

「僕が普段から徹底して配慮していることが破られた行為」

「自分の心に嘘をついている行為」

「過去にそれをして大きく怒られて嫌な思いをした行為」

です。

 

今自分が感じているストレスを解消するには、自分が罰をしている行為をマルにするのが必要なんだろうなと思います。他人や自分を許せないからイライラが出てくるんだと思います。これはしんどい作業ですが内面を見つめることから逃げずに対応していきたいです。

「〜しなきゃ、しなければならない」の一択状態は豊かじゃない

今日はお客様訪問をしました。普段徒歩通勤をしている僕は久々に電車に乗り移動していたのですが、勤務時間中と言うこともあり、「仕事をしなきゃ」「タスクを回さなきゃ」という脅迫観念のようなものに囚われてしまい、電車の中でも届いてるメッセージに返信をしたり、打ち合わせ用の資料のデータを眺めたりとあくせく仕事をしていました。

 

今振り返ってみるとあの時電車の中で仕事をしなきゃと思ってやっていたのは、豊かな生き方ではなかった気がします。というのは、「しなきゃ」と焦って何かをするのではなくて、仕事をしたいなら仕事をして、電車の中でゆっくり休みたいなら目をつぶってじっと座っているなど、そういう選択があったと思うからです。

 

しかし、今日の自分には「仕事をする(しなければならない)」という一つの選択肢しか目に見えておらず、その状況自体が不自由だったと思うのです。そんなすごし方をしている自分ですから、少し真面目すぎるよなあと改めて感じました。

 

最近は頑張り過ぎているせいか、土日を挟んでもなかなか疲れが取れていないので、もっと気楽に、ゆるい感じで仕事をして行けたらいいなと改めて思いました。